2003.1「希望にむかって」

 明けましておめでとうございます 今の世の中 めでたくなんかない人 悲しみや苦しみの中にいる方もたくさんおられると思います。そういった方たちを含めて、アート・エ イド・神戸の標語であった「すべての大地に新しい陽は昇る」ことを伝え、明日を夢見る力を分かちあえればうれしいです。

武愛荘だより

 我が庵は鷹取山の中腹の新興住宅地にあり、家の裏はすぐに山である。皆さんに”なんて ワイルドなところなの”と驚かせた百足(むかで)、蜂刺され事件、蛇、猿の出没現場である。 2階の空調のない、通販で買って自分で組み立てた書棚に囲まれた4畳半の書斎がぼくの 居場所で、ここにあるこれも通販で買って組み立てた大きな机の上にあるパソコンに家に いる時間の半分は向かっている。
 季節のいい時は窓を開けると北西の空と、合歓の木などに林が見えて、ぼんやりした頭 をなだめてくれる。そこに、これまたインターネット通販で買った小さいけど見事な音を だす簡単なCD再生装置で、音楽を聴く。
 今年の夢は、1階の応接室に壁一杯の書棚を作ることを早く実現することである。 家が傾くからこれ以上、2階に本を置かないでと言われ、家人を説得した。
 設計はギャラリー島田の内装を手がけた息子に依頼しているが、忙しがってなかなかや らない。そうこうしているうち、ギャラリー島田の新しいスペースの改造が1月中にもや らねばならなくなった。わが書斎は後回しである。
 

「希望にむかって希望もなく」
 このタイトルはロシアの銅版画家ニコライ・バタコフの作品の題です。その作品は原始 的な胸部外科手術の光景を土俗的な幻想を交えて描いた不思議な絵ですが、でも、このタ イトル、今の気持ちにピッタリきませんか? 先日、新野幸次郎先生が、ヘラルドトリビューン紙の衝撃なレポートを紹介された。世界 44カ国の中、自分の国の将来が明るいか、暗いかという設問に対して、暗いと答えた比 率が日本はグアテマラとほぼ並んで多い、すなわち明るさ最下位というものでした。こう した調査結果は枚挙にいとまなく紹介出来ますが、日本の自虐的性向を割り引いても、この国の未来を担う若者達が未来を信じられない責任は、私達大人にあると自覚しないといけないと思います。
 新春くらいは明るい話を書きたいと思うのですが、そんな話題も見当たりません、そこで取って置きの逆転の発想をご紹介いたしましょう。

ぼくは4階住人だ

 京大エネルギー科学研究所の新宮英夫教授が「人生は4階建ての家だ」と喝破された。 即ち、1階には本能的な快楽を求める人が住み、2階には快楽の継続を願う人が住む、 3階には苦痛を乗り越えた時の喜びを知る人が住む。 現代は1、2階の住人が超過密状態で、さしもの家も壊れそうである。 さてぼくの住む4階はといえば、新宮先生によれば、苦痛にこそ幸福を感じる人が住んで いるそうである。そういえば人影も疎らである。 でも4階の住人にとっては「苦こそが喜び」なのです。快楽が身近にあると苦痛で仕方が ないのです。こんなにも「苦」を抱えているとにんまりとするのです。肝心なことは、そ の「苦」は自分が播いたものであることです。けっして大切な大切な「苦」を、ずぼらし て他人から失敬してはいけません。安直に手に入れた「苦」は、やがては自分を滅ぼすか もしれませんが、自ら播いて、丹精を込めて育て上げた「苦」は、やがては押しも押され ぬ堂々たる「偉丈夫な苦」として深い満足を与えてくれるのです。
 また一階の住人たる人々は快楽を手に入れるためにお金を必要とし、お金を稼いでは快 楽に消費するという無限軌道を走ることになります。4階の住人は、自分の喜びである苦 を自分で播くわけで、その種は尽きることがありません。
 皆さん、苦を引き受けて幸せになりましょう。

オルタナティブ(alternative)な私

 さて、無自覚なままに「苦」を選択してきた自分の生きかたを、自覚的に説明するとす れば、私だけの”もう一つの選択(オルタナティブ)”をし続けてきたように思います。 皆で渡れば怖くないの反対の立場、誰もやらないからやってみよう。 その表明が「蝙蝠、赤信号を渡る」だったのですね。だったのですね、などと他人ごとで 書いてしまったのは、こうしたことすべてにおいて、わたしはいい加減にものごとを処理 し、あとで気がつくということの繰り返しだからです。
 大三菱重工社員から転進、老舗同族経営の苦労をたっぷりと味わった後、個人会社へと、 世間的には坂道を下りまっしぐら。いまでは引き受けてきた役職も、神戸モーツアルトク ラブ以外は全て辞して無役へ。なんぼオルタナティブやゆうても極端やなあ、と自分でも 呆れます。こうしてまで私が手に入れたのは何だったのでしょう。  手にしたものは精神の自由、失ったものは世間との折り合いでしょうか。
 でも世の中、捨てたものではなく、損得抜きで志に殉じる人たちが私達の周りにたく さんいます。私がそういう人に寄せる共感はどうも自分の出自に関わるものでもはや体質 化していて自分でもどうしようもないようです。世間的に言われる成功への階段は、いつ も私の前にあったのに、いつも自分で踵(きびす)を返して降りてきて、孤立を選ぶ、仕方のない業ですね。でも尊敬する白洲次郎の「人に好かれようと思って仕事するな。むしろ半分の人間に積極的に嫌われるように努力しないと、ちゃんとした仕事はできねえぞ」 という言葉を肝に銘じて、4階の住人としてさらに大風呂敷を拡げましょう。