2002.10「2002年「忙中旅あり」 イタリア・フランス編 part.1」

 僕の最初の海外は1963年にアメリカへ、神戸高校の合唱部の副指揮者として一ヶ月近くの旅をして以来、今回がちょうど20回目の海外ということになる。 イタリアは1983年12月にツアーの一員として駆け足で通り抜けて以来、4度目である。

8月18日 関空発11時 ミラノ、マルペンサ空港には午後3時到着。空港バスで中央駅まで。ホテル・カノーバは駅のすぐ近く、移動に便利とインターネットで見つけ、都合3日間泊まったけど、足場がいいだけで何の取り得もなし。ミラノは後でまた戻ってくるのでその時に触れる。

8月19日 11時5分発、中央駅から汽車でヴェローナへ。1時間半。
 タクシーでホテル・トロコロへ。
 この日のことでは、今回の旅で建築的に最も印象に残った美術館であるカステリベッキオについてだけ書く。
 カステリベッキオはヴェローナの君主だったスカラ家の城で14世紀に建てられたレンガ造り。市内を蛇行する美しいアディジェ川にかかるこれも煉瓦造りのスカリジェロ橋のたもとに立つ。この城をイタリアの名建築家であるカルロ・スカルバが美術館としてリファインした。
7年前にヨーロッパを放浪旅行していた、今は建築をやっている次男の陽が、ヴェローナに行くならここだけは見ておいたほうがいいとすすめた。 雄大で優美なお城は勿論であるが、どこまでが古くて、どこからが新しいか定かでないスカルバの知的でシンプルで、それでいてディーテイルのまことに美しい空間にみとれる。 展示品がとりたてて傑作といえないのに、展示品の生かし方がまことにゆき届いているのにまず感心した。なんでも簡単に破壊して現代風に立て直すか、とって付けたように繋ぎ合わせたとしか思えない改築が目に付く日本である。 私が見た中では、こうしたリファイン建築の見本がここカステリベッキオとパリのオルセー美術館である。

マントバの捻じり鉢巻き爆笑おっさん
8月20日 今日は今度の旅のハイライトであるアレーナでのオペラ観劇の日である。オペラは午後9時、日没を待っての開幕である。たっぷり時間はある。朝9時にはホテルの近くからバスでヴェローナの駅に出た。そのバスだけど、通勤の人たちで結構こんでいたけど、終点の駅に着くとバスの前後の昇降口がパッと全開してお客がいっせいに降りた。私たちも押し出されるように降りて見回したけど、誰一人、切符を渡したりしていないし、見ている人もいない、狐につままれたように無銭乗車客となってしまった。 さてマントバまで約40分。駅につく前にきれいな湖のほとりを走る。小さな街らしいので歩いて湖の辺を散歩しようと歩き出すけど、方向が分らなくなってまた駅に戻り駅前の地図でサンジョルジョ城を確認してタクシーに乗る。上手く運転手に伝わったのかどうか「カスト(城か?)」と聞かれてイエスと言ったら、私が思っているのと反対の方向に走りだした。車はスーペリオーレ湖を左手に数分、右に曲がって坂をちょっと登ってすぐに止まった。近すぎるなと思ったけど、ここがマントバのシンボル、ドッカーレ宮殿であった。 マントバといえば北イタリア・ルネッサンスの中心地で、イタリアのみならずヨーロッパの宮廷からも尊敬を集めたマントバ侯爵夫人の美しい姿を思い浮かべるけど、私にとってはむしろ「風の中の、羽のように、いつも変わる女心」とマントバ侯爵が歌うヴェルディのオペラ「リゴレット」の舞台としての馴染みがある。
 さて何の予備知識もなく美術館を巡ってルーヴェンスやグレコなどを時間の制約なしにゆっくりみた。窓外にはきれいな湖が広がっている。出口を探しているとレストランへ降りていく表示がある。古いお城の雰囲気を残した、落ち着いたレストランで、外に置かれたパラソルのあるテーブルで、湖をぼんやりと眺めながらビールを飲む。幸せな気分。 その時、後ろで「ジャポネ?」とマダムの声がした。「イエス」と答えると、奥へ戻っていってアルバムをドンと置いて「見ろ」という。沢山の写真はここのオーナーが日本へ招かれてイタリア料理の指導に行った時のもので、ハウステンボスのホテルの厨房や、すし屋、カラオケ、宴会などの日本の思い出が一杯つまっている。日本の若くてきれいな女の子に囲まれてご機嫌な男がここのオーナー氏であるらしい。眺めていると写真の主が現れた。なんと捻じり鉢巻きに太ったお腹に短パン。東山市場の魚屋のおっさんそのままである。
 ともかく愉快なオッサンで何かと日本の思い出を話したがるし、時間が12時前になったのでここで昼食をとることにした。何かお勧めのものをとリクエストすると若いシェフを呼んできた。言われるままに二皿頼んだが、これが滅法うまかった。メニューを見た時にお値段が一品7ユーロから12ユーロ(850円から1500円)くらいなのだけど、若いシェフが薦めたのはどちらも8ユーロだった。偉い! 味のわからん日本人だからとともかく高いものを薦めるのではなく、安いもので自信のあるものを薦めてくれた。感謝。 一つはかぼちゃのラビオリにアーモンドの粗微塵とオリーブがかかっていた。もう一つはパルジャミーノ・チーズのドンとした大きな固まりにワインなどに漬け込んだ洋梨や柑橘類など3種類を添えたお皿。ワインとの合性が抜群。家人がナフキンで鶴を折ると皆が私にも折ってくれと集まってくる。おっさんにもワインをすすめて、デザートやコーヒーはサービスしてくれる。大変に盛り上がってしまった。del Nonnnoというレストランでのこと。最初に飲んだビールや珈琲も入れて29ユーロ(約3600円)。安いナー。
 さて帰りである。タクシーに乗り5分で着いたので帰りは湖畔を散歩しながら20分位だろうと思って歩いた。釣りをしたり甲羅干しをしている人を眺めながら30分で駅に戻った。
 4時にホテルへ戻ってオペラに備えて小休止。イタリアは怖い。すられる、取られる、騙されるとさんざん聞かされてきたけど、ここのホテルに着いた時にもマダムが盛んに話しかけてくる。よく聴いてみると私がインターネットで申し込んだ時に「安い部屋でいい」と書いていたのを憶えていて、その時には空いてなかってけど、今はもっと安い部屋が空いているけど変わるか?と聞いているのだ。もう支払い済みだし、構わないと答えたが終始、まことに親切であった。

一晩にヴェルディの「ナブッコ」を3回も聴いた
 オペラは陽が落ちた9時から始まる。終わるのは午前1時頃だろう。日本から持参の「即席麺赤いきつね」で夕食。アレーナまでホテルから徒歩2分。7時にはアレーナ前の広場のカフェに座って、続々と集まってくる人々をビールを飲みながらワクワクして見ていた。8時に会場に入る。アレーナは1世紀に建築された円形闘技場で2万人が入れる。
 チケットはインターネットで買った。まことに簡単で”ヴェローナ”で検索すればオペラのスケジュール、座席表、値段表など分りやすく案内がある。クレジットカードナンバーを入力して予約すれば、折り返し予約ナンバーを知らせてくる。あとは現地で座席券と引き換えるだけである(もっともこの事務所を探すのにアレーナの周りを三周してしまったけど)。フィールドがアレーナ席といって1等席、2等席で18,000円、15,000円といったところ。僕らが買ったのはスタンドの階段席の3等で約11,000円。スタンドの後方は自由席でそれでも5~9千円ほどである。席は固くて座り心地は良くなくて皆座布団を借りている。私たちはホテルのタオル持参である。
 スタンドがぎっしり埋まり、上等席にきらびやかに飾った男女が入ってくるのを双眼鏡で覗くのもオペラ鑑賞の楽しみの一つである。
 9時10分前。オーケストラが入場、照明が変わり、舞台に古代衣装に身を包んで銅鑼を持った女性が登場、ドドドドドドー、ガアアアンーと打ち鳴らした。その時暗い夜空からパラ、パラと小さく雨粒が落ちてきて、弦楽奏者が立ち上がって楽屋に消えた。会場にどよめきが広がった。レインコート売りが忙しく走りまわっている。こんなこともあるかと私たちは持参の傘を。待つこと30分。ようやく雨も止み、舞台やオケピットを拭いて回る人たちが忙しく立ち働いて、オケが入り、再び銅鑼がドドドガアアアアンと鳴った。 と、またまたポツリ。中断。会場から開始を促す大きな拍手が何度も起こり、上等席にいた紳士が、両手を広げて”もっと拍手を”と煽っている。浦上忠文さん(市会議員)を思い出した。イタリアの文ちゃんは拍手が起こる度に律儀に傘を畳んで答えた。(お前に拍手しとんと違うぞ)売り子はレインコート、飲み物を売るために走り回っている。
 私の周りはドイツ人のグループで若い人が小さな声だけど「わが想いよ、金色の翼にのって飛んでいけ」のメロディーを歌いだした。ぼくも小さく和した。こうなれば待つことそのものがイベントの雰囲気だ。人影が疎らになった上等席の真ん中で一つの傘でこれみよがしに抱き合っているカップル(変な奴)。
 10時20分頃、再び清掃係りが忙しく立ち働き始め、三度、銅鑼がドドドドゴーンと鳴った。いよいよだ。と、またしても雨がパラパラ。中断。  恰幅のいい紳士たちが舞台袖に詰め掛けて腕をふりあげて抗議している。場内アナウンスがあって中止、払い戻しを伝えられたのが11時。7時から4時間の音楽不在のドラマを楽しんだ。1万5千人くらいが入っていたから、払い戻しだけで1億円くらいに上ったのではないか。
 妻と子供を続けて失ってどん底にあった28歳のヴェルディ。イタリアはオーストリアの支配下にある。こうした状況のなかで「ナブッコ」は作曲されました。エジプトとパレスチナの民族的対立をテーマに抑圧されるイタリアと失意のヴェルディを鼓舞するように感動的に歌われる「行け、我が想い黄金の翼に乗って」の合唱曲はイタリア人の愛国心に火を着け熱狂的に迎えられ、イタリアの第二の国歌として歌い継がれてきた。この曲だけはアンコールしないと前に進めないと言われている。あえてスペクタクル「アイーダ」を避けて、イタリア人がイタリアの古代遺跡で演じる「ナブッコ」しかも「我が想いよ」を聴きたかったのに誠に残念である。
 そのままホテルにも帰るのが残念で、またカフェに座った。先ほど舞台に詰め寄った紳士が隣の席でもの静かにビールを飲んでいた。顔を見合わせて「仕方ないね」というように僅かに微笑みを交わした。なにか同志という感じであった。

何故にかくも美しきか、夏の名残の薔薇都市ヴェネティア(Venezia)
 三回も開幕を告げる銅鑼を聴きながら肝心の音楽を聴けなかったので、もうヴェローナに用は無い。前日にヴェネティア行きの座席指定をとっておいて、朝早くに列車に乗った。 
 一時間半でサンタ・ルチア駅へ。まず駅へ近づいていく15分くらい、海を渡っていく間に姿をあらわすヴェネティアに言葉にならない感動をした。僕のヴェネティア体験は19年前の僅か一日でしかなく、それもツアーだったので記憶も鮮明ではない。その後の僕のヴェネティア認識は塩野七生さんの「海の都の物語 ヴェネティア共和国の一千年」が全てである。塩野さんが惚れ込んだヴェネティアの男たちの生き生きと雄雄しい姿に僕も惚れた。今回の僕のヴェネティア体験は彼らの面影を、いまや過去の栄光にすがってだけ生き延びている夏の名残の薔薇都市に探すことに尽きた。
 駅を出ると,ヴァポレット(vaporetto)に乗ろうとする人たちでごった返している。大きな荷物だけをホテルに届けてくれるサービスがあると本にあったので探したが分らないので72時間有効のチケット(約18ユーロ)を買って1番線でレアルトまで乗った。ご存知のようにヴェネティアには車は走っていない。街をS字形に縦断する大運河(CANAL GRANDE3600m)と毛細血管のように縦横に走る運河がこの都市の交通を支えている。ヴァポレット(vaporetto)とゴンドラとモーターボートが人も物もすべて運ぶ。道はいたるところで曲がったりくねったり行き止まりだったりする。ホテルを探すのは容易ではないが駅で、他の人が何かを尋ねているので、その人に「ホテル・ BONVECCHIATI?」と書いてみせるとレアルトで降りろと、簡単な地図を書いてくれた。多分、この地図がなければ簡単には探せなかっただろう。サン・マルコ広場に近い手ごろなホテルをこれもインターネットで予約したのだけど由緒あるホテルでとても良かった。部屋の窓から真下にオロコロ運河があってひっきりなしにゴンドラが通る、サン・マルコ広場まで2分である。
 ヴェネティアについて最初にすべきことは、ともかくヴァポレットにのってこの都市の概要を肌で感じることである。次にすべきことは、ともかく路地を歩くことである。
 朝、まだ暗いうちにホテルを出てヴァポレットに乗って外海へ出る、ともかくヴェネティアはどこから眺めても海に上に蜃気楼のように出現した幻想都市にように美しい。とりわけ空が青く抜け、やがてチリアンパープル(古代フェニキア人が地中海産の貝の粘液で染めたと言われるピンク系の紫)を掃いたように染まってくるのには、今、悠久の時間に繋がっているという震えるような想いがある。

  トルチェッロ島のランチ
 6年前にシチリアへ旅をしたときは、伝説の名シェフ、ジャン・ムーランの美木剛夫妻との旅だったのでおいしい食事を期待したのだけど、なぜか食欲をみせない美木さんがスパゲッティ・ボンゴレばかり注文して、がっかりだった。今回は、ぜひ美味しいイタリアンをと思って調べてきた。家人は知人からトルチェッロ島のホテルのレストラン”ロカンダ・チプリアーニ”が良いという情報をもらったので早速、日本からファックスで12時にランチの予約を入れた。
 この日は朝早くからレアルト橋より歩き始め、適当にいつでもサン・マルコへ戻れるつもりで散歩をしていた。ヴェネティアの街では高い鐘楼ですら目印にならない。方向感覚がなくなる。迷えば運河に出ればいい。でもこの朝は全く反対側のサン・ミケーレ島の方へでてしまった。でもヴァポレットに10分くらい乗ればと思っていたら、島の外周を大回りして40分くらいかかってしまった。大急ぎでホテルに戻り、一応の身なりに着替えて10時半ころホテルを出た。1時間半の余裕をみての出発である。トルチェッロ島へはヴァポレットで45分とあった。これが勘違いの始まりであった。島へいくヴァポレットの乗り場はけFond.Nuoveといって、今朝、散歩の果てにようやく乗ったところのまだ先で、サン・マルコから45分。トルチェッロ島へはここからさらに45分だったのだ。 しかも、Fond.Nuoveで船員に乗り換えの場所を聞いていて、船員が指差すところから、ゆっくりとトルチェッロ島への舟が出て行ってしまったのでした。
 この島行きのヴァポレットはガラス工芸で有名なムラーノ島、レース編みで知られたブラーノ島を経由します。半日周遊にもってこいのコース。トルチェッロ島はヴェネティア発祥の地として7~14世紀には人口2万人を超え、栄華を誇りましたがマラリアで人口が激減、それ以降、栄光のヴェネティアに属しているのが不思議なほど寂れてしまっていて見るかげのもない。船着場から唯一の見所であるヴェネティアで最も古い教会といわれるサンタ・マリア・アッスンタ教会とダイアナ妃を始めとする英王室が好んだホテルくらいが見所である。レストランには1時間遅れで着いた。
 豪華とはいえないレストランだが花に溢れた庭が美しい。1時間も遅れたのに嫌な顔一つせず、庭に近い良い席をshimadaと書いて取っておいてくれた。日本から考えれば全く高くないお値段だが、とても美味しかった。(具体的に書けば恨まれる)  食事について、もう一つ書く。次男の陽が、出発前に電話してきて「ヴェネティアだったらラ・ズッカというレストランが良いよ」と電話番号を教えてくれた。もう8年も前に放浪旅行した時に感激したという。
 ホテルで聞いたが知らないという。電話してくれたが誰も出ないという。街で買い物をしたついでに店の人に聞くと知っているといって、地図を書いてくれたけど、例によってヴァポレットの降りる駅と、大体この辺りというだけである。この街では正確な地図など書きようもないのである。当てずっぽうにあるいていると住宅番号に気がついてすぐに分った。日本でもどこにでもあるような家庭的なお店だけど、安くて美味しいので二日通った。店の名前は「かぼちゃ」という意味である。