2002.01「直島へ行ってきた」

まさに壮大な夕陽が瀬戸内に沈んでいく。波頭一つなく、風そよともなく、天井、雲一つなし。わずかに夕陽のまわりに数条の雲たなびき燃える。進むフェリーのエンジンすらかき消す荘厳なパイプオルガンの響きを幻聴した。その光と音に包まれて僕の中の何かが崩壊し、何かが立ち上ってきた。今、後にしてきた直島プロジェクトの幸福な余韻の中で。

前夜のサロン(12月11日、ギャラリー島田の忘年会でもあった)のホストとして、葡萄酒を飲みすぎ、帰宅した時間、寝た時間も定かでない。本能的に6時に目が覚め、ばたばたと支度をして、愛車に駆けつけると、なんと完全に凍りついていた。お湯をかけて硝子の凍りを溶かし、ようやく出発。と言っても、5分走っただけで車は駅の駐車場に乗り捨てて、地下鉄、新幹線、特急バス、フェリーと乗り継いで岡山・宇野港から直島・宮ノ浦港に着いたのが11時20分であった。朝の凍りつきが嘘のように、温かく、快晴。極楽な気分での小旅行である。

この辺鄙な地に直島コンテンポラリーミュージアムがある。教育産業のベネッセ(福武書店)がオーナーで安藤忠雄の設計である。1991年に開館、ぜひ行ってみたいと思いながら果たせずにきた。今回の忙しさをかまわずに来たのは、開館10周年の記念に直島全島を使って計画された興味深い企画展「THE STANDARD」に鉛筆画の木下晋さんが招待されており、あと数日で三ヶ月の会期が終了してしまうからである。

直島の民家、空家、路地、旧施設を使って招待された13名の作家の作品を見ることが出来る。私は歩いたり、巡回するシャトルバスで移動したけど、車や自転車で移動することも出来る。必然として、作品だけでなく、島の自然、古さと新しさの混在した町の文化、人情にも触れるこことなる。このプロジェクトそのものが作品でもある。

宮ノ浦港のすぐ前の横丁にある「落合商店」では大竹伸朗が昔懐かしい雑貨屋さんを摸した作品で遊ばせてくれ、最後の本村地区では築400年の石橋家の座敷と蔵に展示された木下さんの「100年の闇」「100年の視力」「100才の手」「101才の沈黙」の前に佇んだ。一時、テーマを求めて迷いのあった木下さんは、この100才シリーズで、さらに充実した仕事を獲得した。ボランティアの女性は「今日は上がっていただいてもいいですよ」と親切に言ってくれ、もう一人の70才を優に越えた御婆さんは「誰もいない夕暮れに、ひとりで蔵の木下先生の絵をみにきたら怖くて足がすくんだ」と笑って話し掛ける。ここで直島という応神天皇以来の地霊と400年の住居100才のごぜ小林ハルさん、木下さん、今ある私の命が静かに響きあい、暗い室内と屋外の明るい光のグラディエーションが優しくハルさんの深く刻まれた皺に涙のようでもあり、瞳のようでもある銀の輝きを与えていた。

多くの作家やプロデューサーや気持ちの良いボランティアの皆さん、そして歴史と自然の恵み。多彩で厚みのある豊かさを実感する。注目した作家、場所、建築など話は尽きないけど、紙面が尽きた。

(追伸)木下晋さんが直島の最終日に立ち会って、翌日、神戸によってくれた。酒の飲めない木下さんを近くのグッドバー「端くれ醍醐」に誘って直島プロジェクトの提示した大きな意味について語り合った。石橋家に展示された4点の作品が全て直島コンテンポラリーミュージアムに買い上げになったとのうれしいしらせに杯を上げた。

みんなつながっていたんだ

遠藤泰弘先生に回顧展はとても美しく、ぼくはモーツアルトの弦楽四重奏曲をききながら作品に見惚れた。そして様々な感慨にふけった。

今回、遠藤先生の「詞華集」を纏めさせていただいたが、この本のスタイルは神戸芸術文化会議の議長を長く務められた福祉学者の服部正先生(1919~2000)の闘病詩集「座礁船」(1990年6月刊)にならったものです。今、読み返してみてもその絶唱には心打たれます。その最後は

  地球は青く闇無限  我はただ

  臨終告知を待ちいたり

  銀河系よ その方向を誤るなかれ

  と結ばれています。

(先生の「道化断章」1983年刊も私が刊行させていただきました)

遠藤先生を応援していた一人が佐本進先生で、佐本先生と遠藤先生を結びつけたのが服部先生なのですね。ぼくと佐本先生を結びつけたのも服部先生で、佐本先生がご自宅の庭に実験小劇場シアターポシェットを始められる時にブレーンとして誘われたのでした。それ以来ぼくの行動は佐本先生の夢をなぞるようなものだったと今にして思うのです。

佐本先生が亡くなられたあと遺稿集「天の劇場から」(1991年10月刊)を纏めさせていただきました。「座礁船」「天の・・」「詞華集」の間には10余年の歳月があるのですが、すべて信頼する編集者である風来舎の伊原秀夫さんにお世話になっているのですね。付け加えるならば私の第1エッセイ集「無愛想な蝙蝠」(1993年11月刊)も伊原さんの手になり、みんなつながっていることに感慨を禁じえません。こうして本として残しておくことは、今、読み返しても、まことに新鮮にその人の想いを蘇らせることになり、だからこそ苦労の甲斐もあるのです。(刊行されたばかりの「詞華集」以外は絶版となってしまいました。お読みになりたい方にはお貸しいたします)

さて、このつながりには、まだ続きがありまして、1991年に小磯良平記念美術館に角野判治郎先生(1889~1966)の作品を納めさせていただく労を採らせていただいたのですが、なんと佐本先生のお姉様の嫁ぎ先であり、また遠藤先生の若き日の絵の師匠だったのですね。こうなると服部先生に端を発した縁が複雑な円環となって、まさにメビウスの輪をぼくはなぞってきたようなのです。