2000.12「プレゴ北野」

 北野町にギャラリーを移して、一月半が経った。日常のいろんなことが変わった。
何より、閉鎖空間から、開放空間に移り、毎日の天候や、時間の推移に敏感になった。
ここは地下一階なんだけど、安藤忠雄さんの不思議な空間設計で、自然光がふんだんに
入ってきて、空も見える。物理的時間は人類平等なのだけど、ここの体感時間は透明感に溢れ、さらさらと流れる感じなのだ。ならば、いままでどんな時間をすごしていたのか思い出せば、もっとゴツゴツして、ねっとりしていたように思うのだ。(脳梗塞寸前だ!)
58才にして、こんな困難な時代に、よく冒険への旅に出れるなと皆さんが心配して下さる。その通り、海図なき航海に帆を上げた心境である。
友人の精神科医が「貧乏強迫症にかかっていませんか?」と電話をくれた。訪れる人がなければ、すぐに「やっていけないのではないか」と弱気になり、家賃が払えるのかとすぐに心配になる。ぼくも立派な貧乏強迫症の患者なのだ。友人は「誰もがかかる病だから心配するな」と励ましてくれるのだが、患者としては「誰でもかかる風邪でも、こじれれば命を落とすこともある」とやはり心配なのだ。(これって重病なのかな?)
それでも、やはり予測のつかない旅に出るというのは「ワクワク、ドキドキする」。
ここを城と定めて、新しい海図を自分で描く喜びがある。いままで重い荷物を積んできて、よたよた進んできたのが、荷を下ろして軽快になった実感がある。でもこの船は老朽船で、どこかに穴があいていて、浸水、沈没せんかいな、と怖れながら船長は舵を握っています。(ああ、これは重体や!)
でも画廊の仕事と、アート・サポート・センター神戸のことに集中できることは、私にとって、何にも代え難い喜びなのです。朝、5時や6時に起きだしてきて、9時15分の出勤時間までのゆったりとした時間に、本を読んだり、真理子に向かったり、調べものをしたり。ギャラリーでもお客さまとゆっくりお話ができる。ホームページも類例のない、面白いものにしたい。そのために改めて調べ物をしたり、思索にふけったり、ともかく毎日が面白くて仕方がないのです。寝ている時間が惜しい。でも歳が歳ですから、
そうもいきません。仕方なくセーブしてます。そんなことで神戸経済に全く貢献していない、私です。
遠くなって、おっくうだとおっしゃる方。だまされたと思って、是非、一度、訪ねて下さい。プレゴ(いらしゃいませ・ウエルカム)。とてもいい空間に、いい作品があり、いい時間がお待ちしています。かけがえのない貴方の時間に豊かな何かを加えていただけると思います。実は隣りのレストランが「プレゴ」というお店です。良い店ですよ。但し、夕方5時からの営業で、無休です。078―332―1770

2000.11「蝙蝠北野を飛ぶ」

 北野にきて、一ヶ月が経とうとしています。環境が全く変わり、まだリズムが掴めません。でも海文堂では、ギャラリーは閉鎖空間で、中にいれば、雨も、風も、光もほとんど感じることがありませんが、ここでは、絶えず、自然を感じ、光を感じ、時間の移り変わりを感じています。ぼくのささくれだった神経を、いつもなだめてくれます。
今までは、小さな書斎の窓からみえる、朝、暗闇から、だんだんと空が明るくなっていくのを眺めながら真理子(女のことではありません。ぼくの古いパソコンに嫉妬した家人がつけた名前です)に向うのが、唯一のぼくの自然との関わりでした。そんな些細なことにも世界の広がりを感じ自分の選択をほめたくなるのです。
疾風怒濤の日が続いています。26年間の仕事に決着をつけ、新しい仕事を始めるのに、こんなにもエネルギーがいるとは想像もできませんでした。
ながい人生を生きてきてこんな形での体験をするとはね。人の心の温かさと冷たさ。表面からはうかがいしれない人間性の機微。人間認識に限りがないことを実感しました。それは私自身の未熟さを含めてのことです。こんなにぼくの感情が揺れるとは、新しい発見でした。
新しいスタートを、こうありたいと言うイメージを追及するあまり、大きく構えすぎています。そして自分を苦しめているんですね。
でも、三日間のオープニングは、雨にたたられた日も含めて、沢山の人が集まって船出を祝って下さいました。呼びかけ人を引き受けていただいた諸先輩、ゲストで演奏や、ダンスやパフォーマンスを演じてくれた友人たち。そして、忙しい中、駆けつけていただいた皆さん。その思いを受け止めて、励まされて、ようやくスタートできました。
ありがとうございます。
私を励ます会をやってやろうというお誘いをお断りしてのパーティーでした。お一人、お一人にお礼をいうべきですが、日記上でのお礼をお許し下さい。

藤崎さんの展覧会からのスタートです。この大きな空間で作品と対峙することをずっと夢見てきました。実際にはじまるまでには、じつにスリリングな体験をしました。でも作品が飾られ、一点一点をじっと見入ると改めて、藤崎さんの凄さを思い知らされています。この絵を一人占めにして、誰もいない夜の画廊でマーラーの「大地の歌」を大きく鳴らしながら一人でしみじみとお酒を飲みたい。展覧会の二日目の今日は、まだ実現していないけど、必ずやります。大雨に祟られてのスタートでした。でもそのお陰でゆっくりとお客様とも藤崎さんとも話ができてよかったです。当然のこととして作品は作家の分身ですから、作家をよく知りたいと思うのは当然です。しかし、藤崎さんの場合は謎めいて、なかなか自身を明かしません。それも当然です。作品が全てというわけですから。でも、私の顔を描いてやろうということになり、一気にカンバスに向かう時の気迫に圧倒され、またその技法の秘密も垣間見させてもらいました。氏はほとんど人間しか描かないといってもいいのですが、溢れるほどの才能と、人間洞察の深化によって、一段と突き抜けた境地に到達したときに、凄い作家になるという予感がします。

 友あり、遠方より来る。何よりの喜びです。まったくのところ、不安一杯の旅立ちを励ましてくれる暖かい、多くの知人の存在がなければ、挫けてしまうような局面が幾度とありました。自分の脆さに気付き愕然とする思いでした。

2000.10「蝙蝠北野を飛ぶ」

蝙蝠北野を飛ぶ

 毎日が、飛び去っていく。おいおい、待ってくれと、歳を自覚しながら弱音を吐いても、時間だけは万人に等しく、私だけに優しくはなれないようだ。
 海文堂を去ることが知れてから、ほんとうに多くの人から励ましをいただいた。そんなに晴れがましいことでもないのに、身に余ること夥しいのである。身が引き締まるのである。自分では忸怩(じくじ)たる点、多多あり、その深い自省のなかでの再出発である。
 ぼくのようなタイプは多くの人を傷付け、また我知らず、人を踏み台にしてきているに違いない。そうしたしがらみを捨てて、原点に回帰する時でありたい。とはいえ、実際にぼくがやろうとしていることは、新しい“しがらみ”を構築しているだけなのだから、ぼくの業は相当に深い。
 新しい画廊との出会いは、運命的なもので、海文堂を離れると決まった時には、こんな形では考えてもいませんでした。いわば、私を取り巻く状況が、どんどん背中を押して、ここまで連れてきたのです。
 最初は、もっと小さな規模で、元町界隈を探しました。お金はないし、状況は悪いし、でも、どうせやるならいい空間をと、探し回りました。
 とても気に入ってます。ここで自分の最終的にやりたい仕事を追求します。ロケーションを心配して下さる方も多いです。しかし、そのハンディーを超えるトポス・場所にします。
 9月17日、海文堂ギャラリー最後の日に「海文堂ギャラリーとは何だったのか」というシンポジウムを3人のゲストを、お迎えして開きました。みなさんが私の転機を、1998年の生死に関わる頭部の手術と、震災を上げられました。どちらも私自身の死生感に関わることです。そして、今回の転機による、新しいギャラリー島田とアート・サポート・センター神戸のスタートは、その回答を書くということに他ならないという気がしてきました。どこまで高い志で貫かれるか、それが課題です。
ここで多くの優れた作家をご紹介出来ることを楽しみにしています。また、作家とともに育っていきたいと願います。私には絵は単なる売り買いの対象としての商品ではありません。結局のところ自分の思想を表現する場なのでしょう。今までは、まさに私の妥協的で曖昧な性格丸出しの画廊でした。これから、少しずつ研ぎ澄ましていきます。ご期待下さい。
 オープニング記念展の第一弾は、11月1日から、パリから藤崎孝敏さんを呼んでの展覧会です。昨年から、日本での作品の発表は当ギャラリーが受け持つことになりました。その力量、制作への態度などを含めて、大変な逸材だと確信しています。飾って楽しい絵ではありませんが、私の魂の深奥を揺さぶるものがあります。ぜひご覧いただきたい展覧会です。
 そのあと、7月まで記念展が続きます。
その詳細については、現在、構築中の、このHPをご覧下さい。11月初めに完成予定です。このHPは、読むHPを目指します。