Gallery SHIMADA メールマガジン 1101 号

□■□2015年6月
Gallery SHIMADA & Art Support Center KOBE
  Info―1101号        
       それがアジト(隠れ司令部)ですから
1 蝙蝠日記   アジトでのバトル
2 ご招待情報  没後20年 具体の画家―正延正俊 展
3 森井宏青展   山縣寛子展「蔵書島案内」
  大変、好評ですが明日までです。お見逃しなく
3 今日の言葉  集団指向的社会から個人尊重の市民社会へ  加藤周一
 
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蝙蝠日記  
中島淳のアジトへの出頭命令は6月7日13:00.尋問開始時刻より一時間も早い。
こちらもアジトへの偵察は前日に済ませていたが手配していた映像投影武器の調子が
悪く、逃げ帰ろうかと迷うが武器なしで闘うことに決める。
20名位と聞いていたけど14:00には40名くらいに取り囲まれる。

ままよ、と武器を捨て語り始めた
異端者としての口上
社会変革への試み
社会を変えていく小さな装置をデザインする
話す途中から向こうから矢が飛んでくる。のぞむところ立ち上がって応戦した。
2時間半。
さらに場所を変えて延長戦のバトル
2時間半。

みなさん、お疲れ様でした。
日を間違え、場所を間違えた方、すみません。
もとより、それがアジト(隠れ司令部)ですから。
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具体の画家―正延正俊 展  西宮市大谷記念美術館  10名様
「具体」のみならず、戦後の美術史において独特の光彩を放つ画家・正延正俊の没後20
年を記念して、初期から晩年までの代表作を一堂に集め、その知られざる画業を紹介しま
す。正延はいわゆる具体のアクション的な流れからは異質な、絵画の内在的問題に一貫し
て取り組んできました。
http://otanimuseum.jp/home/exhi/masanobu15/masanobu15.html
最近刊行された正延正俊の作品集(解説:加藤瑞穂)を見て、わたしは瞬時にジャン・デ
ュビュッフェの初期作品を連想しました。デュビュッフェはアール・ブリュット(アウト
サイダー・アート)の創始者ですが、自身の作風は大胆に変転していて正延との近似性を
読むことは難しいですが、私が所持しているデュビュッフェ1950年台の小画集の表紙や
1958年の版画『日蔭のエスプラナード』 などのシリーズに同じテーストを感じ、加藤さんにその連想を伝えました。そして調べてみると、何とジャン・デュビュッフェに「ミシェル・タピエ、太陽」(1946)という作品があることを知りました。1957年にミシェル・ タピエが来日して「具体」を世界に紹介しました。タピエがヨーロッパに紹介した展覧会に正延正俊の作品も含まれていたそうですから、私が直感したデュビュッフェとの交差も 在りえたことかもしれません。
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今日の言葉
加藤周一の言葉から
「集団指向的社会から個人尊重の市民社会へ
もう一つ、まァどこの国でもそういう面はあるかと思いますが、殊に日本の社会では集団
指向性が強い。”みんな一緒に”という傾向。横断歩道を渡る時も(笑)みんなで一緒に渡ろ
うとするし、遊ぶ時もみんな同じ遊びをということが多い。文化的にも、あるいは娯楽の
面でさえも、また政治にも付和雷同性がある。何かがあるていど流行しだすと、みんなそ
こへ行く。だから歯止めがない。社会がまずい方向に動き出しても、付和雷同し、その動
きが雪だるま式に大きくなる。これは非常に危険です。その歯止めは個人主義のほかにな
いでしょう。日本では個人主義を付和雷同性の解毒剤として、強化する必要があります。
どうすれば強化できるか、それは文学的な問題でもあります。第一に、個人が自己中心主
義であっては好ましくない。みんながエゴイズムだけに走ると、社会生活はうまくいかな
いでしょう。第二に、それではあまり力をもたないと思う。なぜなら、集団主義がそれを
除こうとするからです。エゴイズムに対しては、どの集団も闘うわけで、それは当然のは
なしでしょう。個人主義というものが、自分の利益の追求だけだったら、生き延びる可能
性はないと思います。エゴイズムのままではだめで、それから変わっていく必要がありま
す。個人主義は、自分自身を乗り越える自由を内容としなければならない。自分のやりか
たで自分自身を乗り越えるということです。与件としての自己を乗り越えたところに自由
を獲得する。それが個人主義の中心問題、というふうに言えるんじゃないかと思います。
それをしないかぎり自己中心主義そのものでは長生きしません。
 哲学の領域で、理屈が少し複雑になるかもしれませんが、個人主義は、「イプシズム」
を破る必要がある。それをどうやって破るかということですが、哲学に興味のないかたは
こういうことを聞いていなくてもいいです。(笑)世界の現実は世界を認識する人の主観に
超越する。その意味で世界の、あるいは認識対象の、意識に対する超越性を認めること、
それを引き受けること、それがイプシズムを破る根本の条件です。私が死のうと生きよう
と、悲しかろうと嬉しかろうと、とにかく太陽は東から上って、西に沈む。太陽が東から
上って西に沈むということは、私の感情にも、私の意識の状態にも、さらには私の意識下
にも関係ない。要するに私の主観に超越します。それが、イプシズムが成り立たないとい
うことの究極の根拠です。したがって、個人主義はイプシズムの枠の外へ出なければなり
ません。
 社会的な面からみれば、いきなり人間主義というのはまずいと私は思います。人間一般
が問題ではなくて、市民が問題です。いわゆる個人主義の主体は、個人としての人間じゃ
なくて、個人としての市民ということになる。別の言葉でいえば、市民社会のなかでの個
人です。市民社会から抽象された人間が個人ではない。個人主義というものが、市民社会
から抽象されて人間概念と直結すると、うまくない。イプイズムを破れない。だから市民
個人でなければならないんで、人間一般個人ではないということです。社会的な面でいえ
ばそういうことでしょう。
 個人主義をそういうふうにつくることは、付和雷同性に対する抵抗です。それは同時に、
価値転換を含んでいる。なぜならそれは、集団指向的な価値に個人指向的な価値を対置す
ることだからです。」
『加藤周一講演集2 伝統と現代』かもがわ出版・1996/9/5.p89,p90
蝙蝠から
「イプイズム」は聞きなれない言葉ですが、「自己満足」、もっと端的には「自慰行為」と
いったことのようです。加藤さんはその言葉を訳さなかったのはこの講演が神戸海星女子
学院大学だったことと関係があるのかな?

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