□■□2015年7月
Gallery SHIMADA & Art Support Center KOBE
Info―1119号
戦争と平和 ある観察(その2)
1 蝙蝠日記 助け合いの記憶は「含み資産」
2 展覧会案内 金子善明展
3 今日の言葉 ほんとうの勝利者はない
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蝙蝠日記 「ばかにするな」「なめるな」の大合唱
「戦争と平和 ある観察」(人文書院)
全体の構成は
・
戦争と平和 ある観察
戦争と個人史
私の戦争体験
「対談」中井家に流れる遺伝子 X 加藤陽子
・
災害を語る
災害対応の文化
「対談」 大震災・きのう・きょう 助け合いの記憶は「含み資産」 X 島田誠
「戦争の切れ端を知る者として未熟な考えを”観察”として提出せずにおれない気持ちで」書
かれた力作です。
戦争の酸鼻な局面を本当に知るのは死者だけで「死人に口なし」という単純な事実ほど
戦争を可能にしているものはない、とし、過去の戦争は「戦争を知るものが引退するか世
を去ったときに次の戦争が始まる例が少なくない」と、現状への警鐘を鳴らします。
この重要な指摘を要約することは難しいのですが、まず「戦争は進行していく”過程”であ
り、平和はゆらぎのある“状態”である」として、戦争への過程がいかに単純化され美化さ
れ強化されていくか、そして死者に対する「生存者罪悪感」がさらに戦争推進力を加速さ
せていくことを歴史的に観察する。
一方「平和」は無際限に続く有為変転の「状態」で、絶えずエネルギーを費やして負の
エントロピーを注入して秩序を立て直し続けるという格段に難しい営みである。
平和は「維持」であるから、唱え続けなければならず、持続的にエネルギーを注ぎ続けな
くてはならない。しかも効果は目に見えないから、結果によって勇気づけられることはめ
ったになく、あっても弱い。
戦争は男性の、「部屋を散らかす子ども性」が水を得た魚のようになり、戦争を発動する
権限だけは手にするが、戦争とはどういうものか、どのように終結させるか、その特質は
何であるかは考える能力も経験もなく、その欠落を自覚さえしなくなる。そして、ある日、
人は戦争に直面する。
戦争に対する民衆のバリヤーもまた低下する。国家社会の永続を安全に関係しない末梢的
な摩擦に際しても容易に先導されるようになる。たとえば国境線についての些細な対立が
いかに重大な不正、侮辱、軽視とされ、「ばかにするな」「なめるな」の大合唱となってき
たことか。歴史上その例に事欠かない。
ここから先は本を読んで頂きたいのですが「戦争準備と平和の準備」「戦争開始と戦争の
現実」「戦争指導者層の願望思考」「開戦時の論理破綻と戦争の堕落への転回点」「人間はい
かにして戦争人たりうるか」などと続く。こうした考察は「樹をみつめて」(みすず書房)
で結実しているが、その準備は2005年の「関与と観察」(みすず書房)での数々のエッセ
イで準備された。中井久夫先生にとってのこの10年は戦争を考え抜き、もっとも困難であ
る平和へと向かう絶望的ともいえる努力の促しである。そして、その危機のまっただなか
である今、本著が刊行された意味は大きい。
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金子善明展 醗酵する言葉 8月1日(土)から 8月6日(木)
今日、展示作業で、明日からです。
作家の言葉、島田の言葉は下記で
http://gallery-shimada.com/?p=3098
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今日の言葉
クラウゼウィッツの「戦争論」が「戦争とは外交の延長である」と説いているのに反して、外交不在の状態ですぐに軍刀に手をかけるのは日露戦争終戦以来である。 戦争の成果は短期間しか続かず、戦争後遺症のほうは非常に継続する。われわれもなお、
日露戦争の後遺症の中にあるのかもしれない。ほんとうの勝利者はないのである。
中井久夫
蝙蝠から
「関与と観察」(みすず書房)の熱の入ったながい「あとがき」からの粗い引用です。
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