□■□2015年6月
Gallery SHIMADA & Art Support Center KOBE
Info―1107号
私たちの希望はどこにあるのか
1 蝙蝠日記 私たちなら止められる
2 サロン 7月7日(火) SUNABA GALLERYで話します
3 今日の言葉 この若い女性の言葉に付け加えるものはありません。
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蝙蝠日記
この国はどこへ行こうとしているのか。
余りの振る舞いの品のなさに恥ずかしさしか残りません。
なりふり構わず、手段を選ばず・・・・
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しかしただ呆れたり、嘆いたり、憂さを晴らしたりしていては手遅れになります。
加藤周一さんが私たちの前で、徴兵制へ至ることを指摘されていました。
2003年9月21日、神戸朝日ホールでの「私たちの希望はどこにあるのか 今なすべきこ
と」という講演会でした。12年も前のことで、まさかと思いましたが、そのまさかが
現実になってきました。
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その講演をブックレットに纏めました。
下記は、その書評です。
http://www.hashimoto.or.jp/dr/bungei/syohyo.kibo.html
ブックレットは品切れですが、お貸しいたします。
ギャラリー島田までどうぞ。
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でも昨日、「希望」の一つを教えてもらいました。
若い女性のスピーチです。
長い引用になりますが、動画でもご覧になれます。
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こんにちは。ミキといいます。よろしくお願いします。
いきなり戦争だなんて、大袈裟だとか、またか、とか思う人がいると思います。でも私
は怒り狂ってるわけでも、バカの一つ覚えみたいに反戦を叫んでいるわけでもありませ
ん。たしかに私は怒っているけれど、どうにかそれをぐっとこらえて、怒りをこういう
形に変えて、話を聞いてほしくてここにきています。少しだけ足を止めて話を聞いてく
ださい。
日本は今年、戦後70年を迎えました。「戦争はいけない」そんな当たり前のことを訴え
ることが当たり前になりすぎて、いつしか日本人にとって戦争はどこか野蛮な国の人た
ちが行う、違う世界の出来事となっていったのかもしれません。そして、戦争は悲しい
、泣ける、物語になっていきました。
最近はよく志半ばで亡くなった人の、悲劇のストーリーが映画化されるけれど、あれは
美談なんかではありません。日本人がかつて行った侵略戦争で、人々は憎んで殺し、殺
される論理のなかにいました。それは、悲劇以外の何物でもありません。
だけど、今の生活と、その物語とが、あまりにかけ離れすぎて、まさか日本人が戦争な
んてしないだろうといつの間にか私たちは、思い込んでしまいます。だけど、戦争は70
年前だから起こったんでしょうか。
今の私たちだって、目の前に武装した兵士が現れたら怖いし、突然家族が殺されたら憎
しみを抱きます。ISILの人質殺害事件の時のように、自らの安全や利益のために、自己
責任論といって他人を切り捨てろという世論も生まれます。
今、起こっている戦争は、決して「中東だから」「アフリカだから」という理由で起こ
っているわけではないんです。それぞれの信じる正しさが違っているだけで、大切な人
や自らが攻撃されたとき、恐怖を覚え、憎しみを持つ気持ちにきっと変わりはないはず
です。そうして人々は武器を持ち、自衛のために戦ってきたのでしょう。
今の日本があるのは、別に日本人という種族が優秀だったわけではない。私たちの持つ
人を憎んだり、恨んだり、そういう負の感情を放っておくと簡単に争いが起こるから、
何百年もかけて世界の人々は、暴力的な感情との付き合い方や折り合いのつけ方を、繰
り返し反省し、話し合って、ようやくいくつかの約束事としてかたちにしてきたのでは
ないでしょうか。
その積み重ねの最たるものの一つが、日本国憲法です。そうやって戦争の恐ろしさを受
け継ぎ、平和な世の中を積み重ねていった人々がいたおかげで今、ちょうど戦争をしな
い日本に私たちは生まれてきました。だから、歴史上の今の日本だけを切り取って、武
器を持ちながら戦争に絶対参加しないなんて、そんな理性的でいられるなんて、簡単に
確信を持てません。一度戦地にいけば、いくらでも戦争のきっかけは生まれ、「やり返
せ」と、私たちの感情に訴えてくるはずです。
私たちがすべきことは、その積み重ねを「時代が変わったから」と言って簡単に捨てて
しまうことなんでしょうか。捨てることは簡単かもしれないけれど、私は、先人たちの
思考した歴史を蔑ろにしたくはありません。むしろそれを生かして、犠牲のない世界を
作れると信じたいのです。馬鹿な理想主義者かもしれないけれど、その理想を掲げてい
たいと思うのです。
戦争に参加するなら、武器を作って売るのなら、人を殺すという自覚と覚悟が必要です
。私にはその責任はとても重く感じられます。だけど今、そのことについて本当によく
考えられているでしょうか。
日本だけが、イラク戦争について検証も反省もしていません。それは物資の支援だけで
多くの民間人が犠牲になったことについて自分達には関係ないという、自覚のない参加
をしたからじゃないでしょうか。今、安倍政権は「後方支援」といって、また覚悟のな
いまま、戦争に参加しようとしています。自分は本当に悪いところには手をつけていな
いと思って、その責任の重さに目を背けています。
まずは、過去から振り返ってその責任に向き合うべきでしょう。
テロリストたちはどうしてテロリストになったのでしょうか。彼らの多くは報復を目的
としています。それは戦争が原因だったり、社会への不満があったりします。日本はそ
んな社会作りに加担していなかったでしょうか。協力したアメリカの政策に、落ち度は
なかったでしょうか。本当に向き合うべきなのは、テロリストを生み出した今の世の中
ではないでしょうか。
テロリストは残酷で、武力に頼っていて、彼らもまた悲劇をもたらします。だから、私
は彼らも許せません。自分たちの正しさを押し通すために武力を用いる彼らを私は許せ
ません。だけど、だからこそ、何があってももう武器を持って戦争をしてはいけないは
ずなんです。
9.11以来、対テロ政策として武力行使が正当化されてきたけれど、なにがあっても、ど
の国の人も、アメリカ人兵士の犠牲さえも、許されるべきではないはずです。なぜなら
、戦争はまた憎しみを生み出し、武力の応酬は何の解決にもなりません。これ以上の連
鎖をとめるために、私たちは自らその負のサイクルから降りるべきだったのです。
聞き慣れた言葉かもしれないけれど聞いてください。
戦争は人を傷つけます。子供や未来も傷つけます。戦争は町や人を破壊します。
70年間言われ続けた、戦争の恐ろしさを伝える言葉たちに、新鮮さを感じなくなって蔑
ろにするようになっていませんか。どうか想像してみてください。戦争の恐ろしさと過
去の過ちから目をそらし、武力行使を正当化する私たちと、戦争の恐ろしさを反芻して
学びながら過去を悔いて、武力行使を放棄する私たち。それぞれの道の先には何が待っ
ているのかを。
私たちはかつて後者にいたはずで、そしてこれからも、同じ選択をしていきたいのです
。私は長い長い紛争で何が傷ついたのか、その一端をこの目で見て知っています。
3年前、生きるために親元を離れて治療をするアフガニスタンの子供たちに出会い、数
カ月を共に過ごしました。アフガニスタンでは、長い紛争によりインフラが破壊され、
国内では簡単な治療も受けられない状況にあります。亡くなる子供も少なくなく、治療
をしに来られる子はまだ幸運な方と言えます。怪我や病気があっても彼らはとても元気
で、尊重されるべき命で、決してかわいそうな存在ではありません。
手足がなくても、顔に火傷を負って差別されても、子供たちは助け合い、大抵のことは
自分たちで出来るようになります。けれど時間はそうはいきません。もっと色々な経験
ができたはずの時間が治療やリハビリに費やされています。そして、大切な成長期に親
元にいられないことや、恐怖や憎悪の記憶は彼らの心にしっかりと刻みつけられている
のです。怪我や病は確実に彼らの可能性を奪っています。これが、これこそが、報復戦
争の結果で、戦争の現実にほかなりません。
子供たちがあんな思いを今しているのは、「アフガニスタン人だから」ではなく、憎悪
にかられた武力行使のせいでしょう。それさえなければ彼らがあんなに苦しむ必要はな
かったでしょう。私が出会った子どもたちの人生は、物語でもないし美談でもありませ
ん。アフガニスタン人が傷つくことは普通じゃないし、そんなことはあってはならない
んです。彼らがこれ以上傷つくことを私は許せないし、日本人がそれに加担し、私自身
がその責任を背負いながら、彼らにまたどう向き合っていけばいいのか分かりません。
だから、こういう現実を見たからこそ、なお、私は理想を掲げ続けたいのです。戦争は
なくせるという理想を掲げ続けたいのです。その一歩を日本が、日本こそが踏み出せる
、そう信じています。
きっと、1人目の日本人犠牲者が出たらその憎悪が拡大していくのはあっという間でし
ょう。国の政策も国民の感情も歯止めがきかなくなります。今、もうすでに様々な犠牲
の上に私自身生きているけれど、これ以上の犠牲の上に生きることを、ここでやめまし
ょう。
この法案が通って初めの自衛隊員が亡くなる前に、または、自衛隊員に人を殺させてし
まう前に、こんなバカげた話し合いを終わりにしましょう。私がこの法案に反対するの
は、日本に普通の国になって欲しくないからです。
アフガニスタンには大切な小さな友人たちがいます。彼らやその家族を日本人が、日本
人の作った武器が、傷つけることに私は耐えられません。この国の平和と国民の命を守
るために、友人やそのまた友人が戦地で傷つくことに私は耐えられません。
やられたらやり返す、やられる前にやる、そんな報復合戦に参加し、これから先も誰か
の犠牲の上に自らの平和が成り立っていくことに、私は耐えられません。
私たちの憲法は、今ある普通の国のその先へ行くことができる、先進的で素晴らしいも
のだと信じています。徹底して武力行使をしないことこそが、世界の平和と安全をかた
ち作るものだと信じています。
今、実は反対しているのに、声を上げていない人が私の周りにはたくさんいます。そう
いう人たちに聞いてもらいたい。犠牲者が出てからでは遅いんです。福島の原発事故で
、そのことを痛い程私たちは突きつけられました。法案が通って、人が亡くなった時、
「だからそうだと思っていたんだ」と、「僕の、私の思っていた通りになった」と、優
越感に浸るんですか。反原発を長年訴えてきた先生は、原発事故以降、間に合わなかっ
たと肩を落としていました。そんなことを、また繰り返すんですか。
声を上げるなら今です。
SNSでいいね!が増えても、安倍さんに危機感を持たせることはできないでしょう。彼
は彼の人生における大きな使命を今全うしようとしているのですから。
私たちも、それに見合うだけのエネルギーを注がなくてはいけません。国会前に集まっ
てください。デモで一緒に歩いてください。想像力の乏しい首相には、実態で反対の姿
勢を見せなくては私たちの意志は伝わりません。忙しいのにわざわざ来るからこそ、意
味があるのです。疲れてるけれど、行かなくては、と思うそのエネルギーに驚くのです
。
彼も私たちと同じ人間ならば、何万、何十万の人が集結したその事実に、向き合わずに
はいられないでしょう。私たちが反対の意思表示にかけたそのエネルギーを目の当たり
にして、無視してはいられないでしょう。
憎悪の連鎖を私たち自身が止めましょう。過ちは繰り返さないと、70年前の犠牲者に私
たちは誓ったはずです。
私たちなら止められる。私たちが止めるんです。2015年6月27日、私は戦争法案に反対
します。
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/251003
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7月7日(火) SUNABA GALLERYで話します
オーナーはヒグチヒロユキさん。
奇想・異端の画家、松村光秀さんを色々と紹介くださっています。
7月4日から15日までの連続トークイベント「SUNABAトークショー」に招かれて「境界
の作家、松村光秀」その数奇な人生と作品について話します。
時刻:開場 19時00分 開演 19時30分 会費 ¥1500 (予約不要)
会場:スナバギャラリー SUNABA GALLERY
〒556-0005 大阪市浪速区日本橋4−17−15 sunabagallery@gmail.com
http://www.kcc.zaq.ne.jp/dfyji500/sunaba/index.html
SUNABAギャラリーは若手アーティストを中心として、中堅、ベテラン勢に至るまで幅広
い作家の皆さんの発表の場として、大阪・恵美須町にオープンするギャラリーです。ギャ
ラリー名の「SUNABA=スナバ」とは、子どもの遊ぶ公園にある、あの砂場のことです。作
家、コレクター、ジャーナリスト、さまざまな人々が集ってアートで遊ぶ、砂場のような
場所になればと思って名付けました。(ヒグチ)
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豊かにする芸術活動に助成しています。
http://www.kobushi-kikin.com/
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