朝6時に起きて、そろそろ肌寒くなってきたので、薄いセーターを着ようと、まだ薄暗い廊下でセーターに手を伸ばした途端に、指に強烈な痛み。何やら分らないままに、手にしたセーターと分厚い本を放り投げて、力一杯、指を振り回し、急いで電気をつけました。見ると、廊下に16センチばかりの大きな百足がにょろにょろと動いています。
急いで台所にかけつけ、調理ハサミを持って取って返して、逃げる百足を憎しみを込めてずたすたに切り裂きました。残酷なようですが、やつらの生命力はまことに強靭で、四つに切ったぐらいでは、まだまだ動いています。右の人差し指は鱈子かフランクフルト状態。 それが、ようやく癒えたら、4tトラック2台の山内雅夫展の搬入で左手親指付け根を捻挫、昨日の休日は書斎でギャラリーへ電話して法橋さんと仕事の打ち合わせ中に、何気なくセーターに止まった虫を右手で払った途端に、またしても鋭い痛み。「蜂に刺された」と慌てて電話を切って、百足事件のあと、画家の栃原敏子さんが持ってきてくれた、毒を吸い出す器具で吸引、針を抜き、毒を吸い取った。あとで法橋さんから「そうとうワイルドな家ですね」と笑われた。泣きっ面に蜂とは、このことだ。

忙中旅あり2002
5月革命とポンピドー  

 なぜ、わたしがフランスの3大美術館のうちポンピドーに最も惹かれるのかを説明しておかなければならない。私たちは現代に生きている。20世紀の歴史についてはある程度理解しているし、私たちが抱えている文明的課題についても、ある程度共通の認識を持っている。それは現代芸術が提起する課題でもある。だから何の予備知識を持たなくても、率直に作品と向かい合うと、理解不能という感じはしない。(現実には現代美術を理解不能と思っている人が多いが) だから、ここで20世紀の美術の歴史をたどりながら、20世紀を生きてきた自分の位置を確認し、大きなパースペクティブ(遠景・透視)のなかで作品を客観視することが出来るのです。だから、何度来ても、見飽きることなく興奮するのです。

ポンピドーセンターは、これまでエリートが独占する芸術や文化の枠を破り、社会すべての人々に開かれた場を創造することが理念として謳われた。

初代館長はスウェーデン・ストックホルム近代美術館館長から引き抜かれたポンテュス・フルテン。

彼の素敵な言葉を紹介しておく。

美術館は生命を燃焼させるところだ。

そこは生き生きとした空間であり、墓場のモニュマンとしてはならない。

美術館は近代都市において、最後にたどりつく人間的な場所であり、

そこは同時に視覚的に大きく凝縮したところである。

私たちは68年5月革命の本質的な状況、すなわち(街路の状況)のような、

そこにすべての人々が、階級や文化や教養の差を越えて、誰一人拒否されたと

感じる必要なくいられる空間を作ることが出来ないかと思っていた

この彼の言葉に感動せずにおれない。

 1968年、突如として発生した 「5月革命」は、大学生たちの反抗、反乱の型になって表われた。5月10日、パリの学生街カルチェ・ラタンの道路上には、バリケードが築かれて、警官と学生、労働者との間で、乱闘がくりかえされた。ドーゴール体制に対する異議申し立てであったが、この事件が日大全共闘の学園紛争に繋がり、世界的に学生たちの抵抗運動に発展していった。しかし考えてみれば、当時の首相がポンピドーであって、事態収拾に苦労した当事者である、彼の名を冠したセンターが、あの時のコミューンを再現するというのだから、面白い。

ドイツの劇作家、ブレヒトゆかりの名門劇場、ベルリーナ・アンサンブルの芸術監督である演出家クラウス・パイマンが日経新聞9月22日に面白いことをしゃべっていた。彼はフランス5月革命など世界が揺れた時代を経験した68年世代を自認し、

「自分の舞台は人々を啓蒙し、対立することを明確にし、権力を笑いものにする」「アンサンブルをブレヒトの博物館にしてはならない」「劇場は、唯一真実を口に出来る場所。現実を反転させる演劇の力」「現実の世界のほかに美しい理想世界を持っているのが68年世代」。

 この言葉の一言一句がフルテンの言葉に酷似している。私も現代における芸術の役割については、彼らの考えに共鳴し、その息吹をここに感じているのだ。村上春樹の「海辺のカフカ」からの孫引きだが 詩人イエーツの「夢の中から責任ははじまる(In dreams begin the responsibilities)」に倣っていえば「夢の中から可能性ははじまる(In dreams begin the possibilities)」のだ。すべては想像力の問題なのだ。ぼくも夢のようなことばかり言ってきた、その夢から可能性は生まれ、ぼくはまたその夢を語ることの責任を取らねばならない。ぼくにとってのギャラリー島田やアートサポートセンター神戸の仕事は、その実験の場でもあります。世間的には無名の画家たちを企画展だけで紹介していくことは商業的には至難の業です。痩せ我慢で、どこまで続けられるか。

白髪一雄のパフォーマンス・ビデオとヨゼフ・ボイス
 今回、ポンピドーで印象に残った一つは、4階の16室(ここは大体、いつも兵庫県に生まれた美術運動「具体」の作家が紹介されていて、この運動が世界的に果たした役割を教えてくれる)に足を踏み入れてまず目に飛び込んできたのが白髪先生の若かりしころの、ロープにぶら下がって足で描いている無音のままに延々と流れる制作風景の映像だった。そして、その横ではヨゼフ・ボイスのこれまたパフォーマンスが無音のままに延々と流れていた。ぼくは8年前にスイスのルツェルンで偶然、ボイスの大規模な展覧会を見ている。このドイツ生まれの巨匠は概念芸術というか、全く単純であるのにいくらでも深読みを誘うようでもあり、それが難解でもあるという、私にはまだまだ謎の作家である。白髪とボイスの周りをうろうろして、感覚として謎の解明に挑む私であった。

パリ郊外へ
  26日(月)朝10時、渡辺幹夫さんがホテルまで車で迎えに来てくれる。渡辺さんは欧米で活躍するメゾチント(銅版画)作家でフランス在住25年。当画廊でも何度も紹介してきた。絹の肌を持つヌードのフォルムをテーマとしている。来年秋に久方振りにギャラリー島田で個展をする。私の渡辺さんへのリクエストは、どこか郊外へ案内して欲しいということだった。

南へ90キロ走ったToury村というところに、フランスの著名な彫刻家ヴァンサン・ヴァベダ(Vincent Batbedat)の農家を改造した大きなアトリエ兼住居がある。奥さんはパリ15区の画廊オーナーでミッシェル・ブロウタ(Michele Broutta)。渡辺さんはミッシェルの画廊の作家である。ここを訪ねるのは初めてということで助手席の私が地図を見ながらのナビゲータ(案内)役である。途中で大雨となり冠水しているところもある。今年のヨーロッパは天候不順で東欧は洪水に見舞われ、パリも真夏でも肌寒い。ヴァンサンの描いた地図の教会を目印に無事到着。まずはアトリエ拝見。アトリエといっても牛舎、倉庫、作業所などをそのまま使って、かれのステンレスの立体を作るアトリエ、石の作品のアトリエ、展示場など。高い天井に大きな梟(ふくろう)が住み着いているという。アトリエ見学が終わると、すぐにアペリティフ、そして70才のヴァンサン自ら、炭で大きな肉の固まりを焼き始める。それから3時間くらい飲んで、食べて。ヴァンサンは自分が呑み助だから、客人が来たら、一人一本のワインを空けるのがフランスの流儀だと言い張る。ばくは、飲め飲めと強要するのは日本の宴席の悪癖だと思っていたが、あれは呑み助の世界共通の悪癖だったのだ。ミッシェルは若き日のビュッやダリと深い親交があり、彼らの有名な版画集を出版したりしている。もうすぐベルサイユ宮殿で彼女の挿画本のコレクションによる展覧会が開かれるという。

ここで盛大な歓待を受けたのでした。

 再び車上の人となった私たちは一路パリへ。渡辺さんのアトリエに車を置いて、藤崎孝敏さんとサンジェルマンの教会の前で20:30に落ち合うためだ。渡辺さんは遠く田舎に住居とアトリエを持っていて、そちらでメゾチント(銅板画)の版の制作をし、ここメトロ10号線西の端、ブローニュの瀟洒なマンションの1階にあるアトリエは主として刷りを行うための工房だという。フランスで25年。渡辺さんの「絹の肌をもつヌード」の作品は世界中にファンがいて70枚の新作はアメリカ、北欧、フランス、日本で発売と同時に、ほとんど売り切れるという。田舎では野菜を作り、毎日、釣りを楽しみ「売れなくてもやっていける」と笑う。

 孝敏、幹夫さんと3人で混み合うサンジェルマン界隈で日本食の店を見つけて入る。藤崎さんの好みである。それぞれの近況を語り合う。今回の旅の目的の一つは松村光秀さんの展覧会をパリでやる為の調査である。ミッシェルにも画集をプレゼントして感想を聞いた。「昔の日本画の作家か?」「いや、現存の洋画家だ」というと大変興味をもって真剣に眺めていた。15区にあるミッシェルの画廊は版画専門だし、高齢のため閉めるつもりだそうだ。パリで画廊といえば、日本でいう企画画廊が当たり前で、貸し画廊はあっても日本人か韓国人がやっていてコレクターや評論家は見向きもしないという。企画画廊で個展をするにはオーナーとの信頼関係を時間をかけてつくり上げる必要があるとのアドバイス。そういえば、ヨーロッパ各国を長年回ってきて、日本のようにアマチュアが貸し画廊で、立派な値段をつけて売っている光景はあまり見たことはない。

 思いがけず。旅日記が長くなってしまった。まだ藤崎さんのアトリエを訪ねたことや、パントマイムの勉強にきている沖埜楽子さんと会って、ジュドポーム美術館のジュルジュ・マチューの展覧会へ行ったことなど書きたいことがあるけど、8月に言った旅日記を11月まで牛の涎(よだれ)のように書いてしまった。ここらで筆を置く。