司馬遼太郎さんのタイトルの無断借用です。 この国の体たらくを心配してしまいます。日本という社会にコモンセンスというものがなくなってしまったように感じませんか?社会のなかで無言の不文律、暗黙共通の常識といったものが失せて、毎日がワイドショーの世界になってしまいました。 政治も、官僚も、企業も、教育者も、警察も、弁護士も、検察も、医者も、看護婦も、かつては尊敬をもって見られた職業の上の方から腐っているというか、上まで腐っているといえばいいのか。
 しかし、したり顔に憂いたり、説いたりするつもりはありません。私たちの日常こそを大切にしたいとおもいます。コメントまがいの評論は私のもっとも嫌うものです。日常の積み重ねこそが自己表現であると心得て 刻々に、自分たちが何を判断し、どう行動するかを問われているという事だけは明瞭に自覚してこの一日を過ごしたいと願っています。
 震災以来、強く社会に関わってきて、たくさんの経験をさせていただきました。気がついたら「変人」「過激」とレッテルが貼られて、すべての公的なお役目は無くなりました。それは、なかなか爽快な気分で、頭が丸刈りになったようで、大気や風や陽光などが直に感じられ、これからはこのまま丸刈りで、帽子も被らずにいたいと思います。ここらでじっくりと自分というものを見つめ直し、私の残りの人生、10年(多分あっというまの)を思いのままに柔軟にしかも全力ですごしたいと願っています。いざとなれば身を捨てて「われここに立つ」という覚悟を決めて。

  「以下、有用のことですが」~マリア・ジョアン・ピリス賛歌
ポルトガルのこのピアニストに夢中です。 その素晴らしさは、たとえば最も新しいベートベンのピアノソナタ「月光」の入っ たCDを聴いて見てください。
 「音とは思想である」と確信したほど、なんともいえない素晴らしい音です。 それはピアノの音色という意味ではなく、タッチというのでもなく、音=人、すなわち思想であると感じるような音なのです。もちろん音だけで音楽を語るわけでありません、にもかかわらず音だけで感じるのもがあるのです。
 つい、一月ほど前の日本経済新聞の文化欄にピリスがリスボン郊外ベルガイシュに設立した「文化センター」のことが詳しくのっていました。彼女にとって演奏することは生きることの大切な一つの要素であって、全部ではありません。ここに児童合唱団をつくって子供たちに素晴らしい音楽環境を整えるための協力を呼びかけるものでした。  長い病との戦いを克服して、大自然のなかで深い思索のなかでたどりついた「人への思い、芸術への思い」そんなものが一杯につまっている音!!
 ピリス31歳のときのショパンの演奏と56歳のベートーべンを聞き比べると、録音の差もあるだろうけれど、音が全く違います。今の音には大地の恵み、草原を吹きぬける風、そこでゆったりと生きるピリスの豊かな息使いがたっぷりと込められた音です。
 ピリスは「われここに立つ」と音楽で言っているのです。

 先日、県立美術館のミュージアムホールのオープニングのコンサートをお手伝いさせていただきました。 このコンサートは伊藤ルミさんたちの「ラ・ミューズ・トリオ」のデビューでもありました。ホール自体が様々な問題を露呈したコンサートでしたが、音楽理論、奏法、表現など様々に新しい指導者を得て、次の高いステップを目指している伊藤さんのピアノ演奏にしっかりとした構成力と豊かな感受性の発露を感じました。
 私は聞いていませんが翌日の大阪での出来が素晴らしく、とりわけ「大公」の3楽章の美しさを数人の専門家が伝えてくれました。私たち神戸っ子にとって伊藤さんは身近な存在です、だから分かったつもりでいますが、音楽家として確実に成熟し、もうすぐ「われここに立つ」という音楽を聞かせてくれると思います。