人が人であること、あたりまえのことが当たり前ではない。

生きているだけでもありがたい。

1935年 東北大飢饉(母、セツルメントに携わること4年間)

私は1942年、戦中生まれ

阪神淡路大震災 1995年1月17日

東日本大震災 2011年3月11日

日本に生まれ、平穏に暮らしを重ねるだけでも生死の水際を歩いてきたことを知る。

そしてそれらの出来事に、なにがしかの関わりをもってきた。

いままたコロナ禍のうちにパンデミックの世界を生きる。

日本では今に至ってなお「経済と文化の回復」を主体に語られているが、それは「地域と経済」を巡る話であり、今こそ必要なのはそれを超えた人の在りようを考えることではないか。

私達は幸い、世界に繋がる皆様とのネットワークがあり、パンデミックに面しながらどのように感じ、どのように生きようとしているのかのエッセイを寄稿していただいています。現在は15名の方にいただいていますが、最終的には30名ほどの皆様からいただきブックレットとして刊行したいと願っています。

音楽との再会

-南輝子展 ROY-CWRATONEⅡ 板橋文夫オープニング・コンサート 冒頭挨拶より-

 

「島田さん、10年ぶりやなぁ」と、板橋さんと強く抱き合いました。

コロナ禍、このパンデミックの時代に、いまここで板橋さんをお迎えして、南輝子さんの展覧会をできるということは、私にとって、実は特別な意味がありました。

震災から25年。

たくさんの展覧会に関わらせていただくなかで、南さんの導きで、岩岡へはもちろんのこと、沖縄に行ったりした。

リハーサルで板橋さんの音を聴きながら、以前松方ホールで、板橋さんが演奏された曲を、ずっと思い出していた。

海は広いな大きいな・・・という童謡。

板橋さんが弾くと、本当に、静かに、静かに、海の情景が浮かんできて、それが、だんだん、だんだん、荒れた海になって、その荒れた海が、また、静かにおさまってくる。

その感動的な曲が、ずっと、心の中によみがえってきた。

ずっと、思いが繰り返していた。耳の状態が悪く、音楽が実は聴けない。

けれども、ある日、気がついた。音楽というのは、外から聴こえてくるものを受け取る。だから、コンサートに行ったり、CDを聴いたりする。

でも、自分の心の中にある音楽というのは、そこから聴こえてくるわけではなくて、自分の心の中に感動として、残っている、ということなのですね。

私は、大好きな音楽を聴けなくなったことに対して、がっかりしていたわけですが、

音楽でも絵画でも、ある意味、『今見ている、あるいは、音で聴いている、ということよりも、感動として自分の心の中にしっかりと刻みこまれたものは、時を越えても、その感動を呼び出すことができる』ということを発見した。

それ以来、『この感動というもの、自分の心の中にあるものは、いつまでも、繰り返し呼び出すことができるということを知ることによって、身体的な状況でがっかりしたり、落ち込むことはないのだ』『今、目の前にある、出会いとか、色んなものについて、リアルに感動として自分の中に留めておく、ということが出来るんだ』ということを、発見したのです。

今日も、また新しい感動を自分の心の中に留めて、新しい出会いが生まれるのではないかな、と思っています。