あらゆる芸術文化活動が休止に追い込まれ、先行きも見通せなくなっていく4月。

もともと地域に根差し経営基盤が強くない団体や拠点の存続を心配し、出来ることは何かと自問を繰り返す日々。

まだ政府、自治体からの支援策など何も発表されぬままに休止・中止。先が見えませんでした。

私が「緊急支援助成」の趣旨と仕組みについて財団の役員の皆さんに諮ったのが4月6日。

政府が緊急事態宣言を出したのが4月7日。

緊急事態宣言へと向かう、緊迫した状況のなかで、するとしても「その規模は」「ありかたは」と心惑いました。

私たちは公益財団の認可を受けていますから厳密に定款や規則に則って運用されねばならない、ということも大きな課題でした。

「いつも通り淡々と」いや、「こんなときこそ」など議論を重ね、助成の仕組みを発表したのが4月16日でした。

緊急支援助成の規模としては1000万円。財団の全役員16名が関り、兵庫県下を6地区に分け、それぞれ2名のノミネータが担当し深堀りするように調査し、本部には6名が属し、全員で審査をしていきました。

これを三段階に分けて「志縁」を決めて行きました。第1回4月25日、第2回5月9日、第3回5月23日とノミネートし、それぞれの1週間後に決定していきます。第1回で23件、第2回で23件、第3回で7件。合計53件 総額930万円。

選ぶことは選ばぬこと。辛い作業でもあり、選考委員全員が悩み抜きました。

私たちは何気なく「支援」という言葉を遣いました。「支える」「援ける」。でもそれは違うのではないか。

私たちが頂いている「ご寄付」そのものが「志」と「ご縁」によるものなのです。

そして、今回、選ばれて助成を受けられる皆さまには私たちの申し出を「応じる」「諾す」すなわち「応諾」していただくこととしました。

アップスタンディングな心

1989年、私は生死を分かつ脳の手術を受けた。その時、心配され励ましてくださったのが亀井純子さん。その9か月後に亀井さんが40才で亡くなられた。それから30年。亀井さんに続く「冠名基金」の皆さんや多くの「志縁者」が紡ぎだしてきた物語。すべて、そっと差し出されたもの。

予期せぬコロナ禍に囲いこまれ立ちすくむ文化。今に留まらず繰り返し襲われるという。

コレラ、ペスト、スペイン風邪など昔話としか思っていなかったパンデミックに直面する今。

「目の前に苦しんでいる人間がいるとき、治療するほかないじゃないか」。大江健三郎さんが「広島 ―1963年夏」の取材で、重藤文夫の言葉として書き、その姿を見て、自分がやっていかなければいけないこと、やってはいけないことがよくわかった。

人に償うということは相手のためではなくて、

自分の心を清めるために、あるいは自分のこころのためにそれをするのではないでしょうか。

どういう心にかというと、アップスタンディング( 自分の背骨で立つ )なこころになるためです。

大江さんの1995年1月号「世界」(岩波書店)の特別対談から