1989年。臨死体験をした。脳脊髄鞘腫だった。死を覚悟した。目覚めた集中治療室のことは今でも蘇る。

それからの日々は自分を捨てることを目指した。あれから30年。

その2年前にオランダ領事館におられた亀井純子さんと出会い日蘭文化交流に携わった。私の手術の翌年に亀井さんが40才で亡くなられ、託された遺贈を基に1992年、公益信託亀井純子基金の誕生。それから一般財団法人、公益財団法人とステップを踏んできた。託された思い(信認)に応えるのが務めである。

1995年の震災を期に、「アートエイド神戸」に取り組み、2011年に「アーツエイド東北」の設立に関わるなど多様な文化拠点としての活動を拡げてきた。石井一男、井上よう子、木下晋、重松あゆみなど、今につながる多くの作家とその前からの付き合いである。

人の居場所とは何だろう。心や精神のすみかはどこだろう。

時間が流れ、風景が変わっていくことだけは不変なのだが、神戸をいとしいと思う。

人付き合いの苦手な私が、ようやくどこかに居場所を得ているのは、

島田さんのように作品と人とをつなげてくださる人がいるおかげである。

重松あゆみ「ギャラリー島田 30年目の透視図」 P39から

40年をこえた日々、単なる個展会場ではなく、作家にとっても、来られる方にとっても、私たちにとっても、何かが生まれる場でありたいと願っている。一つの場からはじまり、’03にdeuxが生まれ、’15にtroisを持った。それぞれが多くの作家の居場所であるように心している。

「映画を観る場所」に留まらず、どの劇場で「何を」体験するか、という時代が到来した(略)。

劇場は「箱(劇場)」自体の魅力というのが非常に重要になってくる。

   わざわざ劇場に出向いてもらうというためには、「京都みなみ会館」で「時間をすごしたい」と

思っていただけるような空間づくりと体験の企画を行わなければならない。

吉田由利香(京都みなみ会館館長)の言葉から引用。

(新建築 2019年11月 タトアーキテクツ P154-161)

この劇場は小さいながら三つの場をもつ。思いは私たちと重なる。KOBE ART AWARD 2018の地域貢献賞をお贈りした元町映画館、映画資料館が輝いている。

作品の居場所

作家を紹介し、その作家と歩む。そして、ここから作品の居場所を探す。それはお客とつなぐことであり、時にはギャラリーが、または島田が買う。または作家から、遺族から託されコレクションをテーマごとに招待作品とともに「+」した展覧会も企画している。

今を生きる作家が展覧会を通じて顧客のところに居場所を得るのは最も幸せであり、そのために私たちは心を尽くす。しかし、そうでなくとも作家、作品の居場所を考え続けている。

そうした作品を、最適の居場所として公立、私立美術館、公共施設、ホールなどに納める(寄贈する)。寄贈といってもその審査のハードルは極めて高い。10月号で寄贈及び寄贈仲介を320点と報告。今回15点を加えて335点となりました。詳細は追って報告いたします。

自立であること

ギャラリーの経営、様々なプロジェクトにかかわり神戸塾などを行う「アート・サポート・センター神戸」、そして「財団」が私た ちの三本柱です。それらについて、「自立」であり公 的な助成を受けることはありません。例外は阪神と東北の震災に関わる大きなプロジェクトを除いてですが。こうした在り方に心を寄せる無名の人々の信に応えたいと願っています。 この財団の簡素なモデルが次々 と地域に埋め込まれていくことを願っている。

TRANS-(天)

「ART PROJECT KOBE 2019」は 11 月 10 日をもって終了した。TRANS-  は「越えて」「向こう側へ」の意味ですが、その余韻に 浸るように私もTRANS-  をした。11月19日。転倒し「意識 が飛び」搬送された。 私の TRANS-  は「天上」だったかもしれません。3週間後の今も精査途上である。30 年前に続き。またしても「脳」が疑われた。状況を考え れば大事に至らなかったのは神の導きとしか思えない。 いますこし。与えられた日々を、大切に生きよと内なる声を聴いた。

結びに

志が繋がっていくどこにもない有機体としての結びつき

一人の思いをこえて 大きな、大事なことが

数知らずに生まれていくなによりも自由であり簡素であり

真実である

居場所