すまうら文庫が40周年。ギャラリー島田とおない年なのだ。林眞紀さんが自宅を開放して始めたのが1978年10月。

「海の本屋のはなし」(平野義昌:苦楽堂)の年譜によれば私が海文堂の社長室兼応接室(計15㎡)を自分で改造してギャラリーにしたのが1978年4月とある。

それまで専門書店のイメージが強かった海文堂書店を総合書店に変えていくのだが、今に繋がる大きなビジョンを描けない私の「建て増し」精神が遺憾なく発揮されている。

1974年にそれまでの70坪から105坪に。1976年に120坪、1982年に250坪となった。

私が就任した当時。海文堂の児童書といえば岩波書店の愛蔵版しかなかった。

ある日、私が店頭にいると高島忠夫さんが二人の子どもさんと入ってこられ「子供むけのコーナーはどこですか」と尋ねられ、そのコーナーにご案内した。

二人の少年は高島政宏さん、政伸さん。「今から船に乗って九州にいくんです。船中でこどもたちが読む本を買おうと思って」。と残念そうに「仕方ないね。行こう」と店を出られたのでした。

最初の児童書の担当は私自身でした。といって私が詳しいわけではなく、選書は専門家にお願いし、そのアドヴァイザーの皆さんが「たのしい絵本の世界」を出版したのが1995年、風来舎からでした。

「こどもの本の相談コーナー」「こどもの教育相談」を隔週、店頭で行ったり、専門スタッフも育っていきました。住吉にあった児童書専門店「ひつじ書房」が1975年に開店。残念ながら昨年閉じられました。

さて初代児童書担当といいながら、わが子に読み聞かせた記憶もない。しかし、どのような本を揃えるか、そのためにどんなスタッフが必要かはイメージしてきた。

小学校のころは須磨の潮見台の社宅でくらし、幼稚園も小学校もすまうら文庫から数分の距離にいた。戦中派の私など小学校の教科書が足りなくて、祖父が毛筆で筆写したものを使っていた。

「まことさん はなこさん さくらがさいた」から始まっていたように思う。

海軍あがりのスパルタN先生。わかくやさしいK先生。などへと思いは飛んでいく。中学は明石。そこで吉野源三郎「君たちはどう生きるか」と出会い、深く影響を受けた。

すまうら文庫の本の多くが海文堂で買っていただき今に至るときくと本当にうれしい。今は書店時代よりも本はよく読む。変わらず浅読み、飛ばし読みなのだが付箋主義、メモマニアである。

 

そしていま、絵本といっても、子供むけともいえない、心やわらかき大人たちに向けての絵物語の発刊を夢見ている。