川島猛先生の夫人、順子さんと話した。NYの老舗画廊が閉じるという。

「作家を発見し、共に歩むという役割は終わった」とNY Timesに談話が載ったそうだ。いままで、辛うじて残っていた、ギャラリーを通じて作品を買い、「画廊を支え、作家を支える」という流れが切れてしまっている。それは私が27年間、担ってきた海文堂書店が直面したことにも重なり、40年目を迎えるギャラリー島田が直面していることでもある。

嘆いていても希望の持てる日々を過ごした牧歌的な日々は戻らない。

私たちの仕事は農業に近いと書きましたが、それも不遜なことで叱られそうです。

土壌は代わりがなく、また再生することのない資源です。
食糧、飼料、衣服、住まいそしてエネルギーを生産するために、私たちは土壌を使います。
土壌はまた水を貯留し、浄化し、養分を循環させ、洪水を和らげ、炭素を貯蔵します。
この地球の1/4もの生物は土壌に住んでいるのです。しかし、私たちの土壌はいま危機にさらされています。
世界中で、1分間に2ヘクタールの土壌が広がり続ける都市の下に埋められています。
森林破壊・粗悪な農業開発・土壌汚染・過放牧・裸地となり、劣化し、侵食した土壌が捨て去られています。
私たちの土壌は消失しつつあるのです。たった数センチの土壌ができるのに数千年の時がかかります。
私たちはこの土壌が健康であるように守っていかなくてはなりません。
土壌はうつくしいこの惑星と私たちの幸福になくてはならないものです。

色平哲郎さんの 2018年11月5日「市民社会フォーラムへの寄稿」から引用させていただきました。

この思いは私の危機感と重なります。

話を私たちに戻しましょう。誰もが私たちが危機的な状況にあることを「信じられない」と言います。それはそう見えるでしょう。危機管理下にも緊縮にも見えない。ギャラリーが三つあり、夏季休業中に改修工事を行い、スタッフも増員しているように見える。
数えてみました。子育て中などフレキシブルな勤務を含め4名がチームをなし、随時、アルバイトスタッフやインターンが8名ほど。全て優秀です。10名以上が。忘れていました。あと一人。私です。
そんなことでどうして統率がとれるのか?それも謎です。でも、危機を超えていくために、思い描ける限りの力を尽くしてみようとするチームの姿に、私が鼓舞されています。
ギャラリー、サロン、助成財団。こんなことを行えるのは、よほどの余裕がなければできる事ではない。と思われて当然です。でも、それぞれは自立した活動です。

危機にあるのはギャラリーということになります。それは財政ということになり、普通は極限まで緊縮しなければならないのですが、私たちはどうもそうではなく、社会的実験という私の妄想癖が、より理想の在り方へ暴走させ、そこに育ったスタッフが次々とアイデアを出す。どれもが相当の準備を必要とする。その思いが作家の皆さんに伝染し、力を尽くす。その熱量が外へも伝わっているように感じます。ここ数カ月の個展は数多くの作品をお求めいただき発送に追われている。どこが危機なのかと問われそうだ。これが続いてくれるといいのだが。

絶壁から見える風景は

例のない形でのオークションの成否が、次のステップへの可否を決めます。そして年間を通じてのスケジュールもほぼ決定し、多くの新しい作家も登場します。
取り組んできた企業のモニュメントのプロジェクトも間もなく、報告できる段階にきました。そして新たな別のプロジェクトも提案をいただいています。
危機にありながら、私はいつも「ありがとがんす」を抱いてきました。76才はずっと思い描いてきたゴールです。もう十分です。でも私を現実に引き留めるのは、長く関わってきた作家の皆さんのことです。
密だったがゆえに「託されて」果たせないことが無念なのです。もう少しの日々が許されるのであれば、何かが生まれ続けるこの「場」を消さないように今すこしの日々をいただきたいと思います。

黄金の時刻を生きる

幸せに寝入って、二度と目覚めなかった。多くの人とのお別れもなく。そんなことも夢想します。次の言葉を抱きながら・・・・

それができるのは、情熱に生き、愛を信じ、自由を人生最高の悦楽と感じられる人だけです。

過去の楔からも未来の檻からも解放された人間だけです。

人が生きる意味があるとしたら、この<黄金の時刻>を生き切ることです。

そこでだけ出逢える地上の生にひたと見入ることです。

辻邦生「黄金の時刻の滴り」 P169