電話一本から様々なことが起こる。

「石井一男さんの連絡先を教えて下さい」と神戸市の方から私に電話がかかってきた。そして石井一男の文化賞受賞のことを知らされた。私は耳を疑い、それを伝えた石井さんは、なんのことか分からなかった。

私は1992年に神戸市文化奨励賞を受賞しているが、阪神淡路大震災のころから、私は神戸市とは対立関係にあり、こうした賞がどんな経過で候補者が選ばれるか、そして受賞された方にも関心がなかった。今回、はじめて市のHPでその仕組みを知った。私が受賞した年に公益信託「亀井純子文化基金」の設立を目指していて、その賞金が基金誕生の背中を押した。同年に石井一男という埋蔵画家を発掘した。出会いは一本の電話だった。石井さんは初個展の売り上げを全て基金へ寄付を申し出られたが、それはお断りした。私の受賞の戸惑い、石井さんとの出会いは「不愛想な蝙蝠」(1993:風来舎)に書きました。

私がその他の賞を受けたのは、企業メセナ大賞奨励賞(1996年:海文堂書店)、神戸凮月堂が主催するロドニー賞(第12回、2002年)があります。神戸市文化奨励賞も想像もしていなかった。企業メセナの場合は前年度が「ジーベックホール」が受賞され、「アート・エイド・神戸」の活動を評価くださり、先方から申請をするよう声掛けいただいた。ロドニー賞は、歴代の受賞者が審査員に加わるというユニークな仕組みで2003年に受賞し、しばらく審査員を務めさせていただいた。

1992年の私の受賞については面とむかって「皮肉」「あてこすり」をいろいろと言われた。言われた方はよく覚えているものだ。要は「画策したのでは」、「なんでお前なのか」と匂わされたり。石井さんの今回も、その意外性においていろいろ言われるかもしれません。私もただ驚いたのです。そして淡々と感謝をして変わらない石井さんを知っています。

兵庫県文化奨励賞を受賞した須飼秀和の時は助言を受けて推薦しました。公的な賞に関わったのはこれくらいです。多くの頑張っている皆さん、それぞれに励まし、寄り添う者として誰を推すのかは悩ましいことです。それで結局、誰も推してこなかったのです。いろいろな審査に関わりましたが、一定年度を務めてすべて退かせていただきました。

 

賞を贈る

 

賞がインフレを起こしているのが残念ですが、文化を支え、人を育て、贈るに相応しいところが、相応しい人に贈る賞には大切な役割と価値があります。同時に賞を贈る側の勘違い(下心)と受けたい側の思惑が見えると心がざわついてしまいます。

このように賞について愛憎交々な私がKOBE ART AWARDを創設して賞を贈る立場になりました。2011年に「神戸文化支援基金」が一般財団法人から公益財団法人としての認可を受けたことを期にはじめました。1992年に兵庫県下での芸術文化活動への助成をはじめ、年間100万円から200万円へ、そして300万円とステップアップする段階に来ていて、役員のみなさんと相談して、より長期的な活動への取り組みへの助成を大賞、優秀賞、地域賞をとして合計100万円を贈ることにしました。

形を変えた助成の仕組みなので、賞そのものに権威をもたせないことを貫いています。賞を贈りながら、まことに変なこだわりですが、譲れないところなのです。財団の基金はすべて市民の(無名といっていい)寄付によっています。財団はその志を活かすことを使命としています。贈呈式はそのことを全てフラットな形で表現する場です。賞の価値にふさわしく、もう少し重みがあったほうがいいと思う方もおられます。私たちの拘りはなぜか。すべては亀井純子さんの志を受け継いできたからです。それなしにはこれだけの寄付を寄せていただくことはあり得ないです。

 

 

40周年のしめくくりに

 

石井一男の文化賞の受贈式が11月14日に開催されるそうだ。何と、私の誕生日ではないか。

40周年、最後の展覧会は「林哲夫展」と「蝙蝠料理エトセトラ」となった。40年の航海は日曜大工で建造した小舟で出帆し、何度も難破の危機に直面しながら優秀なクルーの力で航海を続けることが出来た。ふり返れば、私なりの志を形にしてきた航跡が遥か彼方へと続いているのを感慨深くながめています。船も建造、改造を繰り返し、些か身の程をこえて進路を変えかねています。私がギャラリーを始めたころ、今のスタッフ、インターンの皆さんはまだ生まれていないか、せいぜいヨチヨチでした。作家やお客さまの皆さんが蝙蝠を自在に料理していただくことになりました。

 

心の痛みとともに

 

とはいえ、ギャラリーを取り巻く環境は厳しくなるばかりです。私たちの作家、作品への拘りは時の風潮に2周遅れくらい離されているようです。時代を読むことは大切です。でも時流に乗ることには抵抗があります。私たちが為してきたこと。それは「抗う」ことでした。未来図は私たち自身を見失うこことであってはなりません。今回の、ギャラリー島田の存在そのものをauction marketにかけてみる。そんな捨て身は「井の中の蛙」だと思いますが、試してみようと思います。海外のauctionへの挑戦、今回の試み。共に、単なる作品の競売を目指しているわけではありません。ギャラリー島田の目指すところも問い、続く作家たちのマーケットへの道を探しています。ご支援をお願いいたします。