真夏の夜の夢のような「ミニアチュール神戸展2018」は、今年も150名ほどの作家が「ありがとがんす」をテーマに作品を寄せて下さった。

もはやグループ展の意味を超え、場を楽しみ、ふれ合いを楽しんでおられるのだと感じる。

ビジネスの感覚から遠い私たちの存在はなにによってあり得ているのだろうか。
40年の航跡は不思議に満ちている。言葉に出来ない何者かの導きを感じる。
しかし、今もまさに崖っぷちに立っていて奈落をのぞき込んでもいる。

私が選び取ってきた道はいつも崖っぷちへと続いてきた。そのことについて真迫のドキュメンタリーを3篇、4篇書けるほどのことで、記録も残しているが、何れも身近すぎて今は書けない。

こぶし基金の25周年記念誌は「志の縁をつないで そして未来へ」と題されている。
1997年の拙著「蝙蝠、赤信号をわたる アート・エイド・神戸の現場から」(神戸新聞総合出版センター)の本の扉に
「志をもって」ということは、 現代ではほとんど「闘う」という
ことと 同意義ではないか———
とある。 今井康之さん(当時、岩波書店常務)が寄せて下さった言葉だ。

今なお私は「志」に捉われ、私自身は意識せぬままいつも闘い、崖っぷちに佇んでいるようだ。安定を排し自ら危険な方へ身を寄せてしまう50年の日々は外からは窺うことは出来ない。

海文堂では同族との対立からそこを辞し、元町からも離れ行き暮れることもあった。
そして北野へ。三つのギャラリーを持つことになったが、ほとんど成り行きと言っていい。
ギャラリーもこぶし基金も思いがけずに内実を与えられて今がある。

それを成したのはスタッフによるもので、いずれも刊行されている記録が語っている。そして、ギャラリーの経営が困難になり次々と姿を消してゆくこの時代に私たちもまた崖っぷちにある。
存在することの意味

では私たちの存在価値はどこにあり、今あることを許されているのだろうか。
許されていないからこそ崖っぷちにいるとも言える。
やりたいことを貫けば、そのどれもが何かと繋がり、融合作用をおこし小爆発し、
日々がお祭りなのか暴動なのかわからない。 このタガの外れぶりは尋常ではない。
経営という底も抜けてしまっている。これは自爆というものではないか。

3月の「藤本由紀夫展 ダッシュ」、5月の「△と、」、6月の「榎忠展 MADE IN KOBE」はギャラりー島田の全体の空間で構成した。
前例なき事に挑む試みであり、現在開催中の堀尾貞治展もパフォーマンスが形を成した。
日々、CHAOSのごとく何かが起こっていて、ギャラリーを遠く離れていてもその繋がりが何処かで、何かを起こしている。見せる・見る、売る・買う、という「場」を越えた意味が私たちを励ます唯一の動機なのだろう。
同時通訳とともに

様々な困難を抱えてきたが、いまは聴覚がトラブルで普通の会話もままならない。
音楽の音程が狂い、映画は風呂の中の会話のように響くだけ、講演も聴けない。
シンポジウムや会議の時はスタッフが同時通訳のように日本語なのに文字をPCに打ち込んでそれを見ている。
姿形で元気そうに見えるのに、多くのことが頓珍漢で誤解を招いている。
聴覚の異常は脳力の低下を招くという。その自覚も大いにある。
まもなく76才。運転免許返上の齢である。ブレーキとアクセルを間違える。スタッフにもそんなにやらなくて良いと言いながらいざとなればアクセルを踏んでいるという。

私たちはギャラリー島田、アート・サポート・センター神戸、公益財団法人「神戸文化支援基金」の三つの軸を持っていて、それぞれに多くの人が織りなすように共同体のスタッフとして関わっている。この度、ギャラリーのスタッフ猪子大地が辞して外へとはばたく。多くの方にお世話になりました。私からも御礼申し上げます。
新しい場でもまた関わることもあると思います。詳しくは「うりぼう日記」をどうぞ。また柔らかい共同体として複数新しいスタッフが関わって下さることになります。これも一つの社会的実験なのだ。