3月4日、5日と福島県白河市文化交流館コミネスにいました。

竹下景子さんの「かたりつぎ」と「TOHOKUとKOBE 希望と祈りのコンサート」に聴き入り、シンポジウム「まちづくり・震災復興と文化・芸術」(注)で話をしました。
これらは22年前の「アート・エイド・神戸」と「竹下景子 詩の朗読とコンサート」、そして6年前の「アーツエイド東北」の誕生、4年前の「加川広重巨大絵画プロジェクト」を源としながら合流し東北の地で生まれ変わったものでした。

コミネスの館長で今回のプロデューサーの志賀野桂一さんこそが私の東北志縁のカウンターパートです。白河市の歴史的シンボルである小峰城とコミュニティを併せて「コミネス」。大(1100)小(300)のホールを持ち、最新設備を備え、その開館記念でした。シンボルは「市民共楽」。

ここに座りながら「俺はいったい何者なのか」と思いは様々にフラッシュバックし、昨日は画廊の仕事を、いま、遠い白河で「想いにふけり」、明日は壇上でなにがしかを語り、夜にはまた神戸にもどり怒涛の日々が待っています。

私という土壌に育った三つの芯糸を撚(よ)る、そして縄として綯(な)う、ひたすら綯い続け組み上げていく。その景色を今見ています。

美の散歩道の八木マリヨさんが神戸の震災のときに弓弥羽神社境内(東灘)で行った”神戸市民500人と制作コミュニティアート”による高さ8m、太さ1mの縄ロジーアートはその象徴だと感じます。その縄は全国から寄せられた古着で綯われていますが、私の場合は多くの方から寄せられた「志」が綯われ、育ち、今や樹齢40年とも呼べるものに生育し、折々に実りを結びます。

高村薫さんの「土の記」(新潮社)を一気に読みました。物語りは同じ縄でも「禍福は糾(あざな)える縄の如し」と薄氷を踏むような日々の事件が起こるのですが、気まぐれな天候と黙々と闘いながら棚田で精魂込めて米を作る伊佐夫。大手メーカーに就職しながら農業を生業とする旧家の婿養子。何やら私と境遇が似ている。言いたいことは、そのことではなく、田を手入れし、種を蒔き、細心の配慮を怠らず、繰り返しの収穫を新鮮な喜びでむかえる人々に共感し、同じ齢の伊佐夫の衰えていく姿にまた自分を重ねたりしていました。

始まりも終わりもない 果てしない 人間の物思いと 天と地と 生命のポリフォニー(高村薫「土の記」 帯の言葉から)

(注)コーディネーター:佐々木雅幸(同志社大学教授)、
パネリスト:鈴木和夫(白河市長)、内丸幸喜(文化庁文化部長)柴山明寛(東北大学准教授)と島田誠