神戸の震災から22年、そしてまさかの6年まえの東北。その体験を経て、この日本の状況が変わり、人が人として生きうる社会への「人間性回復のチャンス」と願い、「アート・エイド・神戸」を起こし「アーツエイド東北」へと繋がってきました。しかし、その思いは届かず、望む方向とは逆へと暴走している気がしてなりません。
今、象徴的な写真を思い出しています。
震災当時、神戸に住んでいた島袋道浩(現代美術家)が須磨のJR線路沿いに建つ、周辺を破壊されて辛うじて残った半壊家屋の屋根に「人間性回復のチャンス」と大書した物を掲げて写真作品としました。その作品に衝撃を受けました。そこに写り込んでいる日付けが「1995年3月11日」(http://www.shimabuku.net/work3.html)なのです。
この1995.1.17から、東北の2011.3.11まで、私たちはここに大書された言葉を抱きながら夢中に走ってきました。果たすことの出来ないことであっても。

支援から志縁へ

私たちは「神戸の文化は自分たちの手で守る」と「お金と人による支援の仕組み」をつくって7年間活動し、今も「アート・サポート・センター神戸」と「こぶし基金」に引き継がれています。 そして2011年。
「東北のことは東北の人々で」文化復興をしてください、私たちはそれに対する志縁(志の縁)をします、と伝えました。
それまでは何気なくつかっていた「支援」という言葉にどこか与えるというニュアンスがあることを教えてくれたのは中川眞(大阪市立大学教授)さんでした。
2006年5月27日にジョグジャカルタ(インドネシア)で大震災が起こり中川さんは「ガムランエイド」として支援に入られ、‘07年に私も現地入りして、生まれて初めての英語での講演をし、現地を見てきました。
中川さんは、その翌年、現地のリーダーから「支援はもういい、シェア(共助)にしよう」と提案されたと、ギャラリー島田でのサロンで教えて下さいました。(注)
支援する側の自己満足ではなく、「やるっきゃない」と地元で立ち上がっている人に市民も企業も国も共感とお金を寄せ自立による復興の後押しをすることが大切なのです。
(注)中川眞「アートの力」(和泉書院)

陰徳と陽報

22年前の震災からの文化的復興活動はメディアに大きく取り上げられ、こうしたことは人知れずやるものだと「陰徳」を説かれることもありました。それも一理はあるのですが、実際に活動するのは「やるっきゃない」人たちで、その活動を支援してきたのでした。
陽報はその人たちが受けるものなのです。
神戸は当事者でしたが、東北ではそうではありません。ひたすらに「志縁」を届けることと「繋ぐ」ことを心がけています。
6年目の今年は福島へ行きます。
3月4日(土)、5日(日)は福島県白河市に新しくオープンしたばかりの白河文化交流館コミネスの開館記念事業である、竹下景子さんの朗読「語り継ぎ」と「祈りと希望のコンサート」でのシンポジウム「まちづくり 震災復興と文化・芸術」で話します。
藤田佳代舞踊研究所が12名でダンスパフォーマンス。舞台背景は加川広重さんの巨大絵画第4作目「飯舘村」です。
こつこつと積み重ねていくことを心がけています。

絶望してはいけない

チャップリンの「独裁者」のスピーチから

この世界には、全人類が暮らせるだけの場所があり、大地は豊かで、皆に恵みを与えてくれる。 人生の生き方は自由で美しい。しかし、私たちは生き方を見失ってしまったのだ。欲が人の魂を毒し、憎しみと共に世界を閉鎖し、不幸、惨劇へと私たちを行進させた。
私たちはスピードを開発したが、それによって自分自身を孤立させた。ゆとりを与えてくれる機械により、貧困を作り上げた。
知識は私たちを皮肉にし、知恵は私たちを冷たく、薄情にした。私たちは考え過ぎで、感じなく過ぎる。機械よりも、私たちには人類愛が必要なのだ。賢さよりも、優しさや思いやりが必要なのだ。そういう感情なしには、世の中は暴力で満ち、全てが失われてしまう。(略)
私の声が聞こえる人達に言う、「絶望してはいけない」。

絶望しながらもなお「人間性回復のチャンス」と伝えよう。