年の終わりに、年の初めに

今回は‘16年12月と’17年1月号と年をまたいでお送りすることとなりました。まさに「ありがとうございました」と「よろしくお願いいたします」を合わせてご挨拶させていただきます。
とは言え、世界は混沌の度を深め、私たちが目指す方向と真逆の方向へと堕ちていく気がします(私の感覚ですが)。だからこそ自分の立ち位置をひと際明らかにしながら、みなさまと共に日々を心豊かに過ごせるためにもこの場を大切に耕し拡げ育てていきたいと願っています。

たとえ世界の終末が明日であっても、自分は今日リンゴの木を植える
(Wenn morgen die Welt unterginge, wurde ich heute ein Apfelbaumchen pflanzen)
マルティン・ルターの言葉(伝)
日々、変わらずに種を蒔いていきましょう。

草の背を乗り繼ぐ風の行方かな

1月23日は多田智満子さんの14回目の「風草忌」です。
前号(11月)で多田さんを書いた文に誤解を与える表現がありました。市長選の中心におられたように書いてしまいましたが、私がお世話をし、多くの方が参加された「木を植える人たちの会」で、何度か発言され、そのことを驚き、多田さん自身が遺句のように「ご政道批判」「打ち首の昔」と詠まれたのでした。
その選挙は2001年10月14日でした。
2000年から2001年にかけて多田さんは豊かな実りの時を迎えられ詩集「長い川のある橋」(書肆玉田)「動物の宇宙誌」(青土社)「十五歳の桃源郷」(人文書院)「自遊自在ことばめくり」(河出書房新社)を刊行され、2001年には地中海学会賞、読売文学賞を受賞されました。
市長選の翌、11月に癌が発見され、2002年8月 六甲病院緩和ケア病棟に入院、2003年1月23日に永眠されました。

山を越ゆれば山ありて 山廻りには涯もなし さすらいのなかをさすらう一世なれば さすらう人の過ぎもゆかで影めぐりゐる すすき原ゆれ靡くしろがねの穂は 風のまにまに散りぢりに さらばよさらば 今は再びの別れぞと山また山の奥ふかくあしひきの山の媼は去りにけり あしひきの山の姥は去りにけり
謡曲「乙女山姥」の最後の地謡  から

「乙女山姥」は「智満子がその70余年の人生で交わりをかたじけなくした皆さまへの熱い挨拶である」と高橋睦郎(詩人)が多田智満子詩集「封を切ると」付録に書いている。全文を引用したいが叶わない。

多田さんを「気魄の人」と評した人も。発言者として静かに、しかし凛として示された行動、佇まいや、最後の挨拶を心深く受け止めていきたいですね。

「草の背を乗り繼ぐ風の行方かな」は遺句集「風のかたみ」の最後の句

2017年 プレ40周年 つづきの 蝙蝠日記

こつこつと長く同じことを続け、積み上げること。そんなことが、ある通過点を迎えることになりました。
2016年  神戸モーツアルトクラブが35周年(since1981)  設立発起人でした。
2017年  公益財団法人「神戸文化支援基金」が25周年(since1992)
・    公益信託、一般財団法人を経て2011年に公益財団法人になりました。
2018年  ギャラリー島田が40周年になります。(since1978)
海文堂ギャラリー から2000年にギャラリー島田(北野)になりました。

海文堂書店時代の「読書アラカルテ」(since1978)からギャラリー島田「画廊通信」に至る月報は380号(推定)。神戸塾サロン(since2000)が322回 メールマガジンが1280号(12月8日現在での推定)。

すべては日常であってイベントやニュースではありません。こつこつと積み重ね続けてきました。そのことを、古い言葉で言えば兵站(ロジスティックス)、すなわち表舞台への支援の場であり、それをお客様であり多くの市民のみなさんが支えて下さっていることに心からの感謝をお伝えしたいと思います。
2017年は「プレ40周年」として、振り返りと行き先を明らかにする試みを展開したいと思います。どうかよろしくお願いいたします。