2016年 11月 蝙蝠日記

「瞑想の時 妄想の時 迷走の時」

皆さんがこの通信を読まれるころ、私はまもなく74才を迎えることになります。
49才の時に脳脊髄の手術から生還。生き方、考え方が変わったというか、漠然としていたことに焦点が当たりました。そして75才がゴールであると思ってきました。それは恬淡と無欲で誰にも迷惑をかけることなく、請われていた仕事を終えた日に浴槽で亡くなった父に倣いたいと思ってのことです。でもその日は自分で決められるものではありません。自死しないかぎり。

当たり前のように日々は過ぎ、残された日々は短くなっていきます。齢を重ねるということは、当たり前のことが当たり前でなくなることだと当たり前に気がつきました。

聴覚、視覚、発声、もちろん筋力など全体的に衰えを自覚しています。しかし嘆いているわけではありません。今という時間、すべての出会い、生きとし生けるものへの愛おしさは増すばかりです。
いつも脳が緊張しているのか、次々とつい考えにふけっている自分に気づきます。呼吸が浅い。健康法にも無自覚であることが治りません。
皆さんからも、スタッフからも、様々に心配をおかけし、アドバイスもいただきます。
その一つに「3分間の瞑想」の奨めがあります。これなら出来そうだ。しかし、やってみると意外に難しいのです。
「瞑想でなく、妄想や」と笑う。でも笑いごとではありません。
今の私は瞑想でも妄想でもなく「迷走している」のではないかと疑っています。

批判すること 改革すること

多田智満子さん(詩人・エッセイスト)の生涯年数を超えてしまった。
2003年1月23日午前8時58分、享年72才。しきりに思いだします。

私は2001年の神戸市長選に図らずも関わり、市政批判派として全身を晒してしまった。 全く思いがけないことに、優れない体調を押して、その中心に多田さんの姿があった。 私も、ましてや多田さんは運動家ではない。でも本気で改革を望むならば、そうする以外ないのです。

“御政道批判すなわち打首の昔を今になすよしもがな—現代の権力者—”

季村敏夫さんたちが創刊した瀟洒な文芸誌「たまや」の冒頭に掲載された「人知れずこそ—ざれうた六首」のうちの一つです。

亡くなられたのは市長選からわずか1年3か月のことでした。

雨上がりの夕刻、川向こうの東の稜線に片脚をおき、片脚を広大な桑畑の果てにおいて、ぐっと上半身をのりだしたような、すばらしくスケールの大きな、美しい虹。それは天に高々とかかる七色の巨大な円弧のなかに人の世をそっくり包みこんで、どこか遠い山の彼方、この世の彼方へ、すっと運び去るかのようであった

と「犬隠しの庭」(亡くなられる2か月前に刊行)にあります。

亡くなられた日の情景が、このままでした。