2016年 10月 蝙蝠日記

やめときなはれの大合唱

私のいままでの足跡をふりかえる機会をいただいた。想い返せば、脱サラ 書店の拡大 ギャラリー  独立 北野へ 改革や反対運動など
やめときなはれの大合唱を背にやってきたのだった。

長く生きてきて、思いがけず様々な波乱の航海となった。それぞれの転換を貫いている私自身の意思はどこにあったのだろう。海図なき舵とりは何に律せられてきたのだろう。

託されて

振り返れば、起こったすべてのことに通底しているのは「託される」ということだと気付いた。若き日に描いていた趣味的人生への憧れは30才にして霧消してしまった。
まずは「寄らば大樹」から海文堂書店を託され、様々な改革を、亀井純子さんからの若い芸術家への支援を。それぞれの意思(魂)を受け継ぎ、どこにもないものとしてきました。託されたものが繋がった航跡が長く曳き、出航した港も彼方へと見ることが出来ません。

建物全体の空間を考え、その空間を細分して部屋を作ったのではなく、まず部屋から作り出して、作りやめたときに、初めに想像もしなかった全体の形ができあがっていた。これは要するに建て増しの精神です。
部分から出発しておのずから全体に至る。部屋を創るのにくたびれた時に終わる。  加藤周一「日本社会・文化の基本的特徴」から

「託された」ことに応じて、まさに建て増しを繰り返してきました。いまや「初めに想像もしなかった全体の形ができあがっていた」のです。そして「部屋を創るのにくたびれた時に終わる」時を迎えているような気がしてなりません。

音 沈黙と測りあえるほどに

10月は1996年2月20日65才で亡くなった武満徹さんの没後20年へのオマージュが続きます。

私はまず音を構築するという観念を捨てたい。私たちの生きている世界には沈黙と無限の音がある。私は自分の手でその音を刻んで苦しい一つの音を得たいと思う。それは沈黙と測りあえるほどに強いものでなければならない。

この言葉が好きです。
「音、沈黙と測りあえるほどに」(新潮社)「樹の鏡、草原の鏡」(新潮社)「ひとつの音に世界を聴く」(晶文社)「武満徹対談集」全2冊(芸術現代社)を読み返しています。圧倒されながら、しかし痛ましさを抱きながら。

武満の生涯は意外性と伝説性に溢れていて取り憑いてやまない。その一つ。作曲家を目指しながらピアノもなく、ピアノの音がする家へ頼んで弾かせてもらっていた。ある日、何の前触れもなく一台のピアノが届けられた。黛敏郎さんが奥さんのピアノを届けた。近くに住んでいた芥川也寸志さんが黛さんに武満さんのことを伝えたという、よく知られた逸話です。
ここにも「託す」ことがあります。

私が読んでいる武満の著書には、すべて自筆の署名が入っています。それに加えて、芥川也寸志、対談集に出てくる高橋悠治、三善晃の署名本を始めレオーナード・バーンスタイン、リヒテル、カール・ベームなどの署名本が書棚に並んでいます。ずいぶん昔にO氏から私が公益財団法人を設立したら北野町の土地を寄付するから文化拠点を作って欲しいと言われていたのですが、氏自身の書き切れない顛末があって結局、何事も幻となり、「託された」のはこれらの本だけでした。引き寄せられるように元町から北野に移り、財団設立にこぎつけたのは、氏が描いた夢がどこかで引き寄せたことかもしれません。

託す

永六輔さんの「借りを返していくこと」は、託されたことを野(公共)に放っていくことだと思っています。
武満さんと永さんは脈絡がないように思われるかもしれませんが、永さんも小室等さんも武満さんの著書で思わぬかたちで出会いました。

私が建て増しを繰り返してきた、少々、奇怪な趣きのある屋敷(現代のコモンズ)は、すでに多くの人たちが、私がそうであったように「託された」とサインを送ってくれているようです。