2016年 9月 蝙蝠日記

過ぎ去るものと 失うものと 生まれるものへ

今年に入って、息つくまもない日々を過ごしてきました。

そうは見えないようですが、私は大志を抱いたり、事業の拡大を望んだりするタイプではありません。人付き合いは苦手で、むしろ孤独を好み、書物の世界に遊びながら、ものを書き、日々の向かい合い方を探し続けています。

30歳で海文堂書店の経営者に。そしてギャラリー を創設。公益信託「亀井純子基金」から公益財団法人「神戸文化支援基金」に。
すべてのことが「ご縁」に手繰りよせられてのことです。決断は私であっても、書店であれ、ギャラリーであれ、「加川広重巨大絵画プロジェクト」などの様々な試みであれ、その思いを超えて実現させたのは、チームとしての優秀なスタッフに縁るものです。
神戸の震災の「アート・エイド・神戸」、「木を植える人たちの会」や、NGO/NPOのファンドレージングのための「ぼたんの会」、「アーツエイド東北」、「加川広重巨大絵画プロジェクト」など全て担ってくださってきたのは、多くの皆さんたちで、それぞれが、私の思いを遥かに超えて実っていくことが不思議です。

「加川プロジェクト—フクシマ」は関わった皆さんの情熱を尽くした思いを知るだけに、その記録集の刊行を決意し発刊に至って、心底、ほっとしましたし、労ってあげたいと願ってきました。そしてうれしい感想を手紙や葉書やメールでいただきました。
なによりの労いであり、喜びでありました。

小森星児(神戸復興塾・前塾頭)さんが、皆さんに伝えて下さった文の一部です。
「B5版220ページを超える堂々たる報告書で、活字がギッシリ、確かに加川さんの絵も巨大だったけれど、この報告書も記念碑的な力作です。感銘しました。(略)骨太のテーマが繰り返しヴァリエーションを展開していくのにはひたすら圧倒されます。 (略)すみずみまで神経の行き届いた見事な仕上がりは、編集に携われた皆さんの努力の結晶で、これだけ質の高い仕事は、一流の出版社でも簡単には真似できないでしょう。執筆者、編集者、カメラパーソンのみなさんに改めて敬意を表します。」
また、賛同いただいた企業さんからは「また、このようなことがあれば支援させていただきます。」とお申し出いただきました。
そして、なによりも、この記録集が、市の文化行政の変革につながるかも知れない反響があったこともうれしいことです。

多くの事が過ぎ去り、多くの人を失いました。その空白を埋めるように、書き残してきました。それは私自身の証であり、過ぎ去るものの証言であり、そこから、また生まれるものがあるとの願いでもあります。

多くの縁に支えられて

生きているということは  誰かに借りをつくること  生きてゆくということは  その借りを返してゆくこと

笹倉玄照堂の藍木綿に自筆の詩を藍染したもの。「六輔 永のお別れ会」でいただいた藍染(48×32)です。

思えば、人は皆、人から与えられ、また人に与える連環の中にあるのですね。縁をお借りした皆さんのことをいろいろと書いてきました。
佐本進(小児歯科医・シアター・ポシェット館長)さんは「天の劇場から」(風来舎)、下村光治(風月堂社長・当時)さんは「不愛想な蝙蝠」(風来舎)、亀井純子さんは「不愛想な蝙蝠」(風来舎)「純な志をつないで」(辛夷基金ブックレット)、草地賢一さん「ひとびとの精神史」(岩波書店)などで書きましたが、まだまだ多くの皆さんに贈る言葉を重ねてきました。
(まだ、不完全なデータですがギャラリー島田HPの出版物をクリック、島田誠の執筆記録をご覧ください。)

永さんとの最初の出会いは1990年2月28日、自死された佐本進さんの追悼の佐本メモリアル実行委員会のプロジェクト(私は事務局長)に永さんが来て下さり、お話しをしてくださいました。そのプログラムの裏が藍染の着物を着た、永さんのいなせな姿がある笹倉玄照堂さんの広告であったことは鮮明に記憶しています。 (「天の劇場から」には1983年7月10日から佐本進先生が自死される前日までの劇場公演の全記録が収録されています。)

永さんが放送の仕事に入るときに宮本常一(民俗学者)さんが伝えたことば
「電波のとどく先に行って話を聞き、人々の言葉を届ける仕事をしてください」
「ぼくはその約束を守り、ラジオだけでなく、活字にもしてきた」 (永六輔「伝言」(岩波新書) かきおき または あとがき から)

永さんはテレビの世界でも作詞の世界でも寵児となった。でも、みずからその世界を離れ、宮本さんの伝言を原点としてきた。
メールマガジン(1244〜1246号)に詳しく書いたのでギャラリー島田HPでお読みください。
阪神大震災のあと、私たちは神戸空港の計画に反対し、「大事なことはみんなで決めよう」と「住民投票」を要求する活動をしていました。
永さんも賛同され、様々に協力してくださいました。今回、そのことを書いたブックレットを手にして、思いがけず、黒柳徹子さんも長い文を寄せて下さっていたことを知りました。

遺すということ

膨大な記録を書きとめ、本であったり、冊子であったり、紙媒体であれ、ネット上であれ、記憶し、記録してきました。その事がなければ、消えてしまう、顧みられることもない事実が、残されていくことによって繋がり、生まれるものがあることを信じています。