2016年 8月 蝙蝠日記

ギャラリー島田Troisの出航
「start on a voyage」

ギャラリー島田の起源をたどれば1978年の海文堂ギャラリーに遡ります。試行錯誤の38年。北野の寄港地から出航するTroisはその歴史を刻んできたコレクションをご覧いただくための場であり、多様な文化発信の拠点となります。その航路は海外にも向けられています。昨年、イギリスのクリスティーズのオークションに山内雅夫さんが招待されましたが今年は4名の作家が選ばれました。
しかし、ここは「わがままなギャラリー 」です。基本的には島田が在室のときにはご覧いただけます。「Now Open」「Now Closed」の表示を出します。
みんな「そんな!」とあきれます。「評判、落とすで!」。でも、あくまでUn、 Deuxでの展覧会が主役ですから。
ギャラリー島田の膨大なコレクションを順次、ご覧いただきます。そして作家について、作品について、お話しさせていただきます。
Closedであっても外から作品はほとんど見ることが出来ます。

ともかく追いまくられている異常な日々を過ごしてきた。ブレーキが利かないのではなくアクセルしかない車である。しかも、この車にはどんどん優秀なドライバーが乗り込んできて、あっという間に整備が始まり怒涛のドライブを続けているが、今は何人もがアクセルを踏んでいる。

七夕の日にKOBE ART AWARDを発表しました。天の川を挟んで織姫と牽牛が合う。そんなロマン(浪漫)がある日に永六輔さんが83才で逝かれました。
知らされたのは11日でした。12日、13日と上京。旅の友は永さんの「夫と妻」(岩波新書)でした。
七夕の日から三日後に知らされたのですが、この本の中に永さんが尊敬して「最後に」の中で書かれている淡谷のり子さんが亡くなって三日目にマスコミが気が付き、永さんが知ったことが書かれています。永さんとは何度もご一緒し、多くのことを学び、私の倣いというか心の支えでした。

この文中の「呪文に左右されちゃダメ」で辛淑玉(しんすご)さんとの痛快な対談がありますが、私たちが神戸空港反対運動を行っていたときに「木を植える人たちの会」のお世話をしていて、お二人の対談「女大学」を企画したのですが、このことが書かれています。

「若いひとたちがなんとかしようとすると、おやじたちが邪魔する」
「大切なのは、ボランティアの活動であれなんであれ、みんなで力を合わせはじめると、じぶんたちでなんかできるんだ、という実感につながっていく」

永さんとお会いすると翌日にはお礼の葉書が(お礼をいうのはこちらなのですが)届くのに恐縮しました。私がわりとこまめに葉書を書くようになったのは永さんに学んだことです。2011年の7月6日に第30回「宵々山コンサート」(京都・進々堂)に車椅子で駆けつけられ、皆を捧腹絶倒させながら、立ちっぱなしでお話しをされました。私も久しぶりだったので「島田です」と名乗ったのですが、「わかってますよ」と叱られました。その時にギャラリー島田でのサロンに「行きますよ」と、日程まで決めていただいていたのですが、結局、体調が思わしくなく、実現しませんでした。
どこかで覚悟をしていましたが今年6月には旅先からお葉書を出しました。

その訃報に坪谷令子さんや私のコメントも新聞に載ったのですが次のお二人を・・・

瀬戸内寂聴さん「誠実な人。仕事にしても、何にしても、心のこもったことをする人。心の手を抜かない人」(朝日新聞)
ゆめ、風基金の牧口一二(代表理事)さん「弱い人に思いを寄せるということ、一本気であり続けるということの大切さを学んだ」(神戸新聞)

永さんとの思い出が次々と ・・・