朝日がゆっくりと姿をあらわし陽を抱きながらゆっくりと流れる雲。何かの始まりを告げているような若々しさに励まされるひと時。目まぐるしい日々を希望、絶望を綯(な)い交ぜにして繰りながら、夕焼けの空 輝きに満ちた純金に染められやがて帳(とばり)に中に消えてゆくひと時。その狭間での緊張は横になってもなかなか解れてくれません。
そんな日々が続いてきました。

明確な記憶にないずっと以前から、ぼくの心は、いわれなく、ひたむきに「弱きもの」に対して魅せられ続けてきたようである。
弱者に対する、たとえようのない共感、愛着心、親近感。
それは、多分にぼくの理念ではなく、思想や信条でもなく、おそらくは拭い去ることのできないぼく自身のしからしめる所以なのかもしれない。
多分に強者になりえないという、自分自身の実感と、虚構や覇者を排すべきであるという明確な自覚は、今なお、ぼくを暖めつづける体温そのものであり、かっていささかの苦渋と挫折に色どられた春の日の体感に由来する陰影が、今日、なお執拗にぼく自身をドン=キホーテさながらに理由なく困難な状況へと立ち向かわせているようである。

佐本進「わが心のシノプシス」(注)
(注)シノプシス=概要、あらすじ

私より6歳年長。小児歯科医で実験劇場「シアター・ポシェット」を北野の自邸に建て解放。1990年2月28日、自死。敬愛する佐本さんの遺稿集「天の劇場から」(風来舎)に1983年から亡くなられる前日までの劇場での全記録(吉田義武編)掲載を添えて刊行しました。

 私自身は、これからは「ゼロ」と言う場へと向かいたいと思います。「足し算」「引き算」から「ゼロ」へ。何かが誕生する場。何かを発見し、可能性を孕んだ場。そこを清め、維持する役割を。そして、そんなに遠くない時に私自身の存在が透明に消えていくことでしょう。
 白石一文さんが「ここは私たちのいない場所」(新潮社)で親友の死に直面して「死」というものを知らずに生きたほうがよほどこの人生を有意義に送れるのではないか。かれらは「いなくなった」だけなのだ。ここではない、別の場で生きているにすぎない。そんな風にありたい。