ようやく朝 光を失って、大空の瞬きが消え去り、地上の灯りが建物や道路に続き、人々はまだまどろみから目覚めの浅瀬へとゆっくりとながされる朝まだき。大阪湾の向こうの山の背が曙に色づき深い呼吸を誘う。いかに心の余裕を失っていたかを思い知る。
2015年のメルマガは1049号「みんな逝ってしまった」にはじまり、1172号まで出るとすれば123回、三日に一回の発信になる、何をそんなに急いで伝えようとしているのだろうか、我ながら訝る。しかし「状況」が考えることを促し、「考察」を促し、「回答」を促す。
ふりかえれば、一人であることが苦にならない。むしろ好む。ならば孤独かといえばそんなことはない。書店であれギャラリーであれ人が集うところであり磁場でなければ価値がない。

2015年を振り返る
2015年は「加川広重巨大絵画が繋ぐ東北と神戸プロジェクトNo3 ―フクシマ」で始まりました。
東北と神戸をアートの力で繋ぎ、震災が忘れ去られていくことを許さず、単なる芸術作品の鑑賞から行動へと、今、あなたは何をすべきなのかを、人々に問いかけ、駆り立てていく、重要な意味を持っています。同時に、東日本大震災にとって福島原発は容易に解決できない課題であり、宮本佳明さんの「福島第一原発神社」や槻橋修さんの「失われた街」などの模型展示やさまざまな芸術作品・パフォーマンス・トークなどを通じ、新しい日本や世界観を探っていきたいと思います。(企画概要から)
その詳細はHPで見ていただくしかないですが、多分野、多彩なプログラムそのものが大きな意味を孕み、語る人も、作る人も、見る人も、関る人がなべてそれぞれ大切なものを受け止め、一歩を踏み出す力を内に抱いたのでした。
これまで希望とは、北極星のように遠くにある輝く一点であったのが、「動き」になったのです。何かをしようという志。そんなイメージの変化も頂けたプロジェクトでした。絵があること、絵を展示しようとすること、絵を見に行くこと、そこに絵があることーすべての動きが「希望」だと、感じることができました。
野崎ターラー (野崎さんはギャラリー島田でインターンをされたことがあり、現在は福岡在住です。)
この加川プロジェクトは詳細な記録を残す必要があります。すでに10枚のDVDの記録がありますが、シンポジウムや講演のテープからの文字変換、感想文の収集など根気のいる作業を始め文字としての記録を本とする準備に入りました。それをやろうというエネルギーの持続にも私はただ感謝を捧げるしかありません。
ギャラリーを振り返れば
震災20年・没後20年「津高和一展」と「加川広重小品展」に始まり、3月にはデンマークから「BIFROSTの作家達展 」、4月にはシンガポールからMAX KONG、ニューヨークから川島猛、6月には「Partiality for Books 本への偏愛」展、8月には「鴨居玲と神戸」展、10月にはロシアの異才アンドレイ ヴェルホフツェフ、11月には山内雅夫展。12月にはフランスから山田晃稔さん。
初登場のみなさん。
蓮池もも(新潟)、サイモン・エヴェリントン(大阪)、花井正子(名古屋)、山縣寛子(大阪)、野田朗子(京都)、松田一(愛媛)、卯月みゆき(東京)、根木悟(京都)、金子善明(奈良)、大垣圭介(兵庫)、松井鮎子(東京)、小泉直彦(埼玉)など12名。
国際交流の芽生え。
なんとなく海外の作家たちとの交流が生まれ、Sotheby’s、Christie’s(英国のオークション会社)からコンタクトがあり、10月のChristie’sのオークションに山内雅夫が招かれ、高い評価で2作品が落札されました。引き続きギャラリー島田の作家がアジアを含めた海外市場に紹介されることになります。
C.A.P(芸術と計画会議)の国際交流プロジェクトSee Saw Seeds~An Experiment Connecting Four Art Communities (ドバイ、フィンランド、ハンブルグ、日本)への協力、イタリア文化会館(大阪)とのプロジェクト、またスペインからも呼びかけられています。言葉が壁ですね。
東北大震災5年の3月。フランスのモンターニュ・ド・ペルシュ(ノルマンディー・オルヌ県)で加川広重巨大絵画「雪に包まれる被災地」「南三陸の黄金」「フクシマ」の三部作を4m×1.2mで複製展示。フランスのアーティスト11名が3点づつ「フクシマ」を主題とした作品を出品し、ステージを設けて「朗読」や「合唱」を繰り広げます。  (2016年3/11(金)12(土)13(日)18(金)19(土)20(日))
当初の加川広重フランスプロジェクトがフランスへのテロ事件(シャルリー・エブド)の影響で難しくなり、それでも山田晃稔・迪子さんの強い意志をペルシュの仲間たちがこういう形で繋いでくださいました。加川広重さんが行かれ、石井誠さんの書が参加することになりそうです。
神戸ビエンナーレに思う
神戸ビエンナーレ2015(以下KB)を丁寧にみて「考察」を纏めました。私は2007年から見続けてきました。今は日本各地でこうしたアートプロジェクトが氾濫していると言っていい状態です。そうしたなかでKBはどういう役割を果たしているのか、そもそも必要なのか、むしろ市税の無駄使いではないのか、いや、もっと悪しき発信ではないのかと感じてきました。それは単にプロデューサーやディレクターの問題に留まらず神戸の文化的土壌を問うということにつながります。市が主催し県が密接に協力し、多くの文化団体が組織を上げて協力し、メディアも同じです。過去、主催者発表=メディア発表でした。
私の公開質問状の意図を「掲載されなかった恨みをいつまで言ってるの」と暗に言われてきました。私はこのことにKBの本心=体質を表出している事例として行なったにすぎません。アーティストは自己の表現世界を追求することが本質で、現実世界と対峙し、それを創造的に表現することに全力を尽くします。したがってKBに関心はあっても力は注ぎたくない。その通りです。ならばとKBの問題点を上げ、論点を整理することを考えたのがこの「考察」です。
公然と批判されて気持ちがよかろうはずがありません。まして、県市のプロジェクトで多くの人が関っていることです。しかし自由で開放的で進取の気に満ちているというイメージと裏腹に閉鎖的で古い村的な体質を感じることは良く言われていることです。その内に身を置いて言うだけでは何も顕在化してきません。Independentだからこそ発言することが出来、またする責務があると考えました。
いまの段階ではそこまでです。何かが動き始めるのか、なにも起こらないのか。それはそれが神戸の現況であり限界だと知るまでです。この通信がお手元に届くころにはギャラリー島田のHPで「考察」をお読みいただけるようにいたします。
残りの日々に
多くの方に心配をかけています。12月の画廊通信で書いていますが、今後は三つのことに専心します。ギャラリー、アート・サポート・センター神戸、こぶし基金です。ここそが新しい種を蒔き、育てていく拠点だからです。
新しい才能と出会うための「Emerging artist」を公募して連日のように話し合いを持っています。これからまた新鮮なデビューを果す作家たちと若いスタッフが次の伝統を作っていってくれるでしょう。
作家だけではありません、この不思議な場はまた新しい命を育む場でもあるようです。林淳子は子育て中、島田容子は4月にも、加川プロジェクトの事務局長、7月からはこぶし基金の事務局長を務めてくれている中井明子はお正月にも。
ギャラリーとはいえ、ギャラリー、基金とも運営、経営は厳しい綱渡りです。子育て中、予備軍のスタッフ、インターン、ボランティアがめまぐるしくシフトを組むという不思議なチームを構成し、これにボランタリーに加川プロジェクト記録集を作成するチームが活動しています。