静けさを両手で受けとめることが、今までにないほど、大切なときが、やってきた。黒い岩肌を伝う水の音、山鳥の囀り、森を吹き渡る風、栗鼠の呼吸、月の運行、胡桃のように大粒な星の光、そして海、子供、男と女・・・。その言葉ひとつひとつに胸をひらくことが大切なときが、還ってきた。ますます精巧な武器や機械に人間が囲まれてしまった今、という時代だからこそ。
(山崎佳代子『ベオグラード日記』はじめにから P12)

セルビア大使館(品川)にて 2月20日

山崎さんはベオグラードで、宇宙飛行士ユーリー・ガガーリンの名をとった通りに住み続けているのに、国の名前は何度も変わり、ユーゴースラビア社会主義共和国連邦から、セルビア共和国となった。それはバルカン半島の交通の要所であるがゆえに、様々な征服者による140回もの戦争が繰り返されて歴史の変転に翻弄されてきたからだ。
この歴史的時間を背負った地でしか紡ぎだせない言葉がここに生まれる。山崎さんは30年間をここで暮らし、3人の子供を育て、そして詩人となり、ベオグラード大学で日本文学を講じ(教授)、日本とセルビアの架け橋となり、難民の支援に奔走する。

「ちいさな声」を繋ぐということに拘る季村敏夫さんと山崎さんは、短い立ち話ていどの出会いから、お互いを瞬時に理解し、このトークに至ったそうです。

小さいから価値も小さいということはありません。重心をあえて「小ささ」というころに置きました、世界の片隅にひっそりと息づくもの。少数の声、そこに身を寄せての思考実践です(略)
昨日も今日も平穏、何ごともなく、何ごともなかったかの如く、他者の悲惨を見て見ぬふりをして生きていける、現に生きて在る。ところが、心のどこかに疼きがあり、お前さんそれでいいのかい、執拗に問いを投げかけてくる、この問いから逃れることは出来ない。  (震災・まちのアーカイブ『小さな声をつなぐ ―災厄の現場から』より)

季村さんは、私に短く、この本のことを伝え、なにかに引き寄せられるように、私はこの場へ坐っていた。
季村さんは、穏やかに言葉を選び、眼差しを遠くに、小さな声で、山崎さんに寄り添うように語った。そして互いに相手の詩を朗読した。

山崎さんの言葉も、セルビアの詩人たちの言葉も、かすかな声として平易であり、夢と現の間のようでいて深い。このことを襟を正す思いで読み、聴いていました。

人と人との巡りあい、繋がりこそが、目に見えない小さな力、しかし、それだからこそ内なる世界を少しずつ変える力になるのではないだろうか。この小さな力さえあれば様々な土地に刻まれた記憶の豊かさに触れ、命の重さの等しさを感じ取り、自然の力の深さを確かめ合うことが出来る。
生活というささやかな営みに潜む、無数の小さな力が結び合うとき、なにかを変えることが出来る。
(終りに―「小さな言葉」という小窓から P226-227)

現代の権力者
私は社会的なことに関りすぎる、それでついてゆけないと思われるかもしれません。しかし、山崎さんも季村さんも、しっかりと向き合い、発言をし、行動されています。この対談で季村さんは故・多田智満子さんの例を上げて、震災後の市長選で多田さんが身を挺するように市民派に尽いたことに触れました。その選挙こそ私が止むに止まれず市民派候補の参謀を務めたのでした。

“御政道批判すなわち打首の昔を今になすよしもがな―現代の権力者―”

これも多田智満子さんの遺句の一つです。
遺稿句集「風のかたみ」を読み返しています。
“草の背を乗り繼ぐ風の行方へかな”
私達の行方も茫として知れません。
亀の井別荘の中谷健太郎さんが、何故、私を大切にしていただくのか、不思議に思って訊ねました。穏やかに「権力に楯をついて、連戦連敗の仲間」と小さく笑われました。

鳥肌のたつ風景

ひとり残らず
こどもが
消えた
一本残らず
樹が切り倒された
冬の公園
これ以上に
おぞましいものが
どこにあるだろうか
ここを立ち去る前に
僕は見つめる
もう祖国とか
故郷とか
呼べない場所を
一瞬と名づけられた永遠を
見据える
ほかに何ができるだろう
国と呼ばれていたものが
がらがらと崩壊する
世紀の終りに

山崎佳代子 「みをはやめ」(書肆山田) P70,71
(戦場となったサラエヴォを脱出したヤドランコとラーダ夫妻
の言葉を出発点として)