前回の通信でもお知らせしましたように三回目となる「加川広重巨大絵画が繋ぐ東北と神戸プロジェクト」は阪神大震災の20周年でもあり、とても大きな規模で行なうこととなりました。
2年前の8月17日に仙台メディアテークで加川さんの「雪に包まれる被災地」と出会い、ここまで来ました。巨大絵画と共に、本質的に震災を問う、私たちを問う、世界を問うというラディカルなものとして心に在ったのでした。幸い、何かに導かれるように場と出会い、人と出会い、事は育っていったのです。不思議が起こっていると感じます。
前回、このプロジェクトをご覧になった山田晃稔、迪子さん(画家夫妻で昨年12月にギャラリー島田で展覧会をされた)が、この加川プロジェクトをフランスで開催するために奔走され、なんと2016年にはオヌル県Orne、モルターニュオー・ぺルシュ市 Mortagne-au-PercheのCarre du Perche(市立ホール)で3月7日~13日まで開催されることが決まりました。これも私たちのプロジェクトと同じく山田さんがお住まいのレヴェイヨン村建造物保存会が実行委員会となり、私たちと同じように県、市が協力して市がホールを提供し、財政はゼロから出発しながら、企業や財団の助成、市民からの賛同を呼びかけ、作品や日本側の関係者を招いて下さるという信じがたいことが実現しつつあります。神戸のプロジェクトがだんだんと成長し、拡大深化してきたように、フランスもここをモデルとしてナント市NantesやパリParisへと国際文化交流が広がっていきそうな勢いです。

ありえねぇ
完結した高田郁(かおる)さんの「みおつくし料理帖」シリーズで「つる家」の主人、種市が「ありえねぇ」と呟く様子が描かれています。主人公の澪(みお)が絶品の料理を作ったときの驚きです。加川プロジェクトを奇蹟といえば大げさですが、「ありえねえ」ことが起こっていると感じています。関った人たちが、だんだんと熱を帯び、集中し、お互いを触媒として沸騰していく感があります。それは加川広重さんの作品の力に発し、私たちにとっては20年前の震災の記憶を抱き、東北の震災で再び呼び起こされ、私たちに「何をなすべきか」を問われている、それぞれの答えを、ここで表現しようとしているのかもしれません。それは希望なき時代の小さな希望かもしれません。それはたんに見えたことに止まらず、関る人たちの心に灯ったからこそ動きだし、時空を超え、拡がっていくのでしょう。
会期を通じて24の企画が並行するように行なわれ、会場もホール、2つのギャラリー、2階での映画、映像、「いいだてミュージアム」の展示が行なわれます。出演側だけでも100名、裏を支える側だけでも数十名という規模で毎日、メールが飛び交い、打ち合わせなど目の回る日々、そこにフランスとのやり取りが日々あります。前回のスタッフに加えて、学生さんを含め、多くのボランティアの皆さんが手を上げられて、ギャラリーは、ともかくてんやわんやです。
もともと助成ありきのものではありません。結果的に神戸市、兵庫県の協力をいただき、助成を受ける方向で進んでいますが、それでも60%は私たちで用意せねばなりません。私は、慣れぬお願いにも奔走しています。みなさんとともにこのプロジェクトを有意なものとすることを願っています。

天人について
11月9日の朝日新聞、神戸新聞の書評欄は、ともに後藤正治さんの「天人―深代惇郎と新聞の時代(講談社)」を取上げていました。後藤さんの近作といえば「奇蹟の画家」 「清冽―詩人茨木のり子の肖像」 「節義のために」 「探訪 名ノンフィクション」などがあり、後藤さんの主題の選び方から時代への意識がひしひしと伝わってきます。本書も深代惇郎を語りながらジャーナリズムの危機を問うもので、いつもよりさらに取材も周到を極めているように感じます。本書に登場する本田靖春は読売新聞で深代の交わるところがあった。「我、拗ね者として生涯を閉じず」は、題に自分を重ね、貪るように読んだものです。深代惇郎は人間として稀な品格を持ち、文品をもち、多くの人々に愛され、忘れえぬ記憶を刻みながらも急性骨髄性白血病のため46才で急逝されました。「天声人語」とは「民の声を天の声とせよ」との意味で略して「天人」なのですが、読み始めてすぐに深代惇郎という天から遣わされたような稀有の人材にモーツアルトを思いました。深代を惜しむ多くの方の言葉や振る舞いに何度も頁を繰る指が止まりました。読み進むと「深代のなかにもモーツアルトと同じツゥリステスが棲んでいたのかもしれない」という言葉に出会いました(P324)。有名な小林秀雄の「疾走するかなしみ(ツゥリステス)」を思いだしますが、後藤さんは「深代惇郎は、その内部に、詩的なもの、叙情的なもの、文学的なもの、あるいはツゥリステスと呼ばれるものを宿した人だった。それが文藻(ぶんそう)の源を成していた」と評しています。

「知の力というものが、集積した情報や知識によって解を見出すのではなく、問いを問いとして保持することを止めないことによりウェートがあるとするなら、そのことにおいて深代にもっとも知性的なものを感じるのである」 P215

途中でなにか既読感があるなと、立ち止まって考えて、はたと書棚を探しました。島田巽「ふだん着の英国」です。島田巽は叔父にあたり朝日新聞の論説副主幹まで務めました。深代さんがロンドン支局長であったころの支局(タイムズ社のビル)があったフリート街の息吹を伝えるところ(P224)が「ふだん着の英国」にも、タイムズの内外(P72)として出てくるのです。二人の間にはちょうど20年の開きがあります。直接の上下はなかったと思いますが、巽叔父も当然、深代さんを知っていたでしょう。叔父は、ちょうど20年前に亡くなりました。深代さんの話しを聞いてみたかったですね。「天人」の読後感は、心の深くに静かに満ちてくるものがあり、それが次第に瞼を濡らし、どこか洗われた思いに浸るのでした。

悲しいお知らせ
石井誠(書アーティスト)さんが、11月11日21時48分に亡くなられました。難病と闘いながら壮絶に創作に挑んでこられ、多くの方の心を揺さぶってこられました。今年のギャラリー島田での個展(2/22-3/5)では大作をずらりと並べ、石井さんの入院中(北海道)の病床とNetで結び、来られた皆さんと会話をされました。その後、大阪に戻られ、次の展開へ意欲を燃やされ、フランスでの「加川広重+ギャラリー島田」プロジェクトに石井さんも招待されることが決まり、「石井誠作品集」を風来舎の伊原さんと作ることも決めていました。それらの実現までは生きていて欲しかったと、訃報にじぶんでも意外に思うほど動揺しました。
石井さんが2014年2月の画廊通信に寄せた言葉の最後のフレーズです。

死にゆくことが運命ならば、豊かに「土」に還りたいと思うのである。そう、豊かに・・・
そのために私は日々、命を噛みしめながら「生」を書する。