人は等しく彼岸へと海原を往くこの船の乗客である。無数の細かな偶然が降り積もって私たちはここに「大切なもの」を抱いて生かされて在ることを伊津野の彫刻が、言葉が語りかけてくる。それは「心のなかのかたちが、今も生きるための力を与えるものであることを切にねがう」と若き友への手紙で書いたことの証しであり、それは、そのままに、私たちの望みであり「見ることのないあした」への一歩を踏み出す励ましである。(「伊津野雄二作品集 ―光の井戸」に寄せた文から)
伊津野雄二さんと4年前に出会い、私の日常ともっとも隔たった暮らしでありながら心の基層における同質性を感し、東岡崎一色町の森の入り口にある趣のあるお宅をしばしば訪ねた。

その身を惜しみなくあたえ
いつくしみ そだてた者たちに傷つき
たおれる その時もなお
汝は 微笑むか
凍てつく 灼熱の
この三叉路にたち
されど なお 汝は微笑むか  伊津野雄二「三叉路」

私たちの願いとかけ離れて時代は混沌を深める。絶えざる岐路にたち、私たち自らが問われ、明日への一歩を選び取っていかねばならない。痛みを引き受けてなお微笑むかと。


伊賀・丸柱の里山にある植松さんのお宅を訪ねた。
細い道をくねくねと上がる。木々をぬけると森の入り口のような庭があり、右手に趣のあるお宅。その奥に簡素な工房がある。ここには人間の忘れかけた時間や空気が、まだいっぱい残っている。それはこうした山や森の中だけにあるのでなく、私たちの住む街にも、日々の生活のなかにも、ゆっくり物を見たり、耳を澄ませばあると植松さんは言う。

何を考えるでもなく、
森の中の風景に身を置きひとり佇む。
微かな音や、小さな物の動き、変化を体で感じて、
しばらく、じーと、空を眺め、水を見る。
そしてゆっくりと体を動かす。
泥に足跡を残して。        植松永次

植松さんの仕事は、その地の泥の中に咲いた花なのです。


このところ堀尾貞治さんの「あたりまえのこと」の凄さを思い知らされています。
ギャラリー島田のほとんどの展覧会は見ていただいていますし、展覧会もパフォーマンスもしていただいています。でも最近の磁力は、いまやブラックホールのごとく全てを吸い寄せ、全身美術家として屹立しています。

40年生きてきたら40年がそのままある コピーと同じである
お金も時間も場所もなにも無い条件の中で耀く仕事がある
自分の生まれ育ったところから離れると、生まれた所で起こった事がよく分かる
美術館、画廊、美術書、海外等、いろいろ見たり聞いたりなどしたが、
ほんとうに物が見えるのは、じっとしていて見える時だ
2007年2月10日  堀尾貞治

5月18日(日)8:00に三宮で会い、21:30に三宮で別れるまでびっしり同行しました。
宮崎県立美術館での「生誕100年、没後3年 坂本正直展」で堀尾さんはパフォーマンス、
私は昨年ギャラリー島田での記録映像に続いて、坂本正直を語りながら庄野英二、香月泰男の戦争体験と、その作品化、そして坂本さんの作品の今後、について話をしました。
堀尾貞治さんの「あたりまえのこと」は普通には「あたりまえでないこと」なのですが、
その哲学と行為が、ただならぬ勢いで、世界を巻き込んでいくのは「おおいなる希望」でもあります。「真実は勝つ」(堀尾さんの言葉)という信念のシャワーを全身で浴びた長い一日でした。


海文堂生誕まつり「99+1」

6月1日で100周年を迎えるはずだった海文堂書店が昨年9月末をもって閉じました。そのことは大きな衝撃をもって受け止められました。リアル書店が次々に消えていくなかで、これほどその存在が惜しまれるとは、驚きでした。
私自身は1974年から海文堂書店社長に就任、2000年 海文堂を辞すまで27年間、経営に携わりました。完全に海文堂を離れていたため、閉店に至る経緯は存じません。でも、福岡店長(当時)をはじめとする書店員の皆様は尊敬に値する素晴らしい仕事を重ねてこられたことを知っています。
その足跡を残すことは大切なことで大きな意味をもっていると思います。
今回の海文堂生誕まつり「99+1」は、そうした話の中で自然に生まれたのもです。
福岡宏泰(元・店長)さん、平野義昌(元・店員)さんや、海文堂を惜しむみなさんが実行委員会を重ねられ、私が惜しまず協力しています。
記念展では、海文堂書店に心を寄せてくださった方々に、ゆかりの画家さんの作品と海文堂の歩みの数々をご覧いただきますが、作品は作家さんの協力をいただき、お求めいただきやすい価格設定とします。販売作品には記念展のロゴマーク入りのシールを付けます。これらの収益全額を“海文堂書店の本”(編集:著:平野義昌)の刊行費用に充当します。