ギャラリー創設36年を過ごしていることになります。

いままでの画廊とはちがうなあ、枠を外れている、社会的な発言ばかりしている、売れているように見えないけど売れてるの?よくわからない画廊というイメージを持たれる方も多いのではないでしょうか。なんせいろんなことをしていますから。
ここまで来ることが出来たのは多くの作家やお客様や支援下さる皆様の援けがあってこそのことです。
へんこ

東京新聞・中日新聞で「店のない本屋」が出版ジャーナリスト、石橋毅史さんの連載で始まっていて、「海文堂の遺産」が3/4-3/10まで5回掲載されました。島田を軸に書いているのですが、各回の見出しが愉快です。

① 祈りの場所 ―― 2014年1月17日 KIITOでの加川広重プロジェクトではじまる
② 異色の経営者 ―― 書店経営、画廊経営にとどまらない関心
③ 怒りのパワー ―― 行政の施策への反対運動
④ 「へんこ」がすむ町 ―― WAKKUNやトンカ書店など変り種が町の文化
⑤ 衝突を乗り越え ―― 行政との協働。再びKIITOにて。

とあります。

「へんこ」とは偏屈のことですが、私自身を知らない読者は、さぞかし「怖い人」と思ったことでしょうね。こんなに優しいのに。とはいえ、前回のサロン「加川プロジェクトの問い直し」の時にスタッフが「暴走老人」と発言して、みんな笑って同意していましたから、へんこで暴走する老人というイメージが定着しそうです。

その海文堂ですが今年の6月1日で100年を迎えるところでした。そこで、ギャラリー島田Deuxで「海文堂生誕まつり99+1 記念展」を、へべれけ伝説店長、福岡宏泰さんを中心にトンカ書店の頓花恵さん「下町レトロに首っ丈の会」の山下香さんなどによる実行委員会が大いに盛り上って計画しています。

海文堂書店に心を寄せてくださった方々に、ゆかりの画家さんの作品と海文堂の歩みの数々をご覧いただく他、日替わり店長、いろいろトーク、サイン会、100円均一本、記念ポストカード、カフェなど、楽しい企画を満載する予定です。

これらの売り上げ(一部は収益)は、「海文堂の本(題名は未定)」(平野義昌著・編)の刊行に充てる予定です。

海文堂書店といえば時代小説のスーパースター高田郁さんの「みおつくし料理帖」シリーズの新刊「美雪晴れ」に次の会話があります。

「坂村堂よ、もう海文堂のことで何時までもそうくよくよ悩むな」「そう仰いますが、海文堂は実に良い店だったのですよ。清右衛門先生の本も、随分と沢山商ってくれていましたのに、あんなことになって。私はもう、無念で無念で・・・今日、店の前を通りかかったら、既に薬種問屋に様変わりしていました」P233

「私には懇意にしていた物之本屋を助けられなかった悔いがあり・・・」P289

高田郁さんの人気シリーズの9巻目にあたります。累計200万部という大ベストセラーのなかに海文堂を惜しむメッセージが入っています。高田さんが海文堂の棚卸しに参加されたり熱いファンだったことは存じ上げていましたが、ここまでとは。最後までやり抜いた書店員の皆さんへのこの上なき餞(はなむけ)であり愛惜です。

「ほんまに」NO.15(くとうてん)の特集「海文堂書店閉店に思う」に高田さんは「まぼろしの花とサンバ~我が愛しの海文堂書店~」と題し、100周年には盛大に花束を贈り、サンバを踊るつもりだったとに書かれています。さて、今回のイベントで踊って下さるのかな?サンバのコスチュームでサイン会かな?

それにしても閉店して半年が過ぎますけれど、まだ余震が続いているその存在は何だったのでしょう。  ここに結果的に敗れ去るにしてもみなさんの記憶の中に生き続けることへの鍵があるように思います。 平野さんが書く予定の海文堂書店の本は、たんに一書店の歴史や愛惜の記録にとどまらない意味をもつものであることを確信しています。

さてギャラリーへ話をもどしましょう。

島田という異端、偏固(へんこ)暴走老人は優しいのか怖いのか、ここで発表する作家や、来られるお客様にとって、ここはどんな意味をもっているのだろうか。最近、ギャラリーの仕事を手伝って下さっている野崎ターラーさんに聞きました。どうして「ギャラリー島田」か?しばらくして手紙が届きました。「美術館や他のアートシーンにある、見る、見られるアートではなくて、活動するアートだから。アートは 人・時間・空間をつなげることが出来る。そういう意味でのアートを扱っているのがギャラリー島田だった。――からです。」

展覧会をされた作家の皆さんからもお便りを頂きます。私たちは作家にとって最上の場でありたいと全力で準備をしています。売れることは三の次のことです。そこから生まれるものは売上とは限りません。もっと大切なものや人や事と出会うことです。