海文堂書店の閉店を間ぢかにした日々を、かくも愛されていたのだと驚きをもってみていました。そして私自身が封印してきたこと、30歳から57 歳まで精魂をこめてきたことが奔流のように迫ってきて、なすすべもない時間に身を委ねたのでした。そして、その喪失感もずしりと堪(こた)え、な かなか消えそうにもありません。

前回、ここで書いたことは神戸新聞の10月1日(閉店の翌日)の記事である程度、補われましたので、具体的な検証はしません。でも「覆水、盆に 帰らず」の喩えの通り、出てしまってからの後追いでは、全体として真実を語ったことにはならないのです。

しかし、メディアはともかく、周囲の眼は優しく、昔、ともにあった社員やアルバイト、パートの皆さんと旧交を温め、また再会を約しました。29日、30日と閉店1時間前から、名残を惜しみ、立ちすくみました。取り囲んだ300人はいた人々の輪からは離れて、奔流する想念にただ身を任 せていました。亡き悦子の生まれそだった地であり今の海文堂書店は二人の作品でもありました。

そして10月5日、海文堂のファンの皆さんが別れを惜しんで招いて下さった会(会場は海文堂ギャラリー)は、みなさんの心情溢れるもので、私も 様々に登場させていただき、時の経つのを忘れました。私は22時に皆さんに送られながら辞し、多くの人は終電、10人くらいは始発だったそうで す。

かくも多くの方が惜しんだということは、町の本屋が閉店するということに止まらないなにかが海文堂にはあったという気がします。ネット時代で書 店に立ち寄ることが少なくなった今、みんなが「大切な場所だった」という刻みこまれた記憶に、かけがえのない「文化」のもつ力がありそうです。

人格性と物語性の無い店は生き残れない

探し物をしていたら、思いがけず丸善の原稿用紙にボールペンで書かれている幹部会議での私の発言のメモが出てきました。最初に「前回に続いて」と あるが、その草稿は見当たりません。

私達が生き延びるのは専門店としてであるという前回の論を補足して、今までの延長線上では駄目だ。
在庫の内容においても、サービスの質においても飛躍的に進むこと。

として、具体的に指示している。

人格性と物語性の無い店は生き残れない。
店の顔、担当者の顔、スタッフの顔、レジの皆さんの顔。
お客様と商品の間に、しっかりと人格を刻み込む。
更に「あの店にはドラマがある、感動がある、出会いがある、主張があるetc」
といった物語性まで作りだしたい。
概して、おとなしい。もっと主張を。

最後に「書店巡りの感想」として、大阪の六つの書店へのコメントも簡単に書かれている。日付はないが、最後にハーバーランド・アシーネとあるか ら、1992か93年ころだと思います。私が書店経営を始めて20年、今の規模にして11年、50歳のころでした。

99年4か月での幕下ろしでしたが、みんな100周年をやろうと盛り上っていました。100周年は来年6月になります。単なるノスタルジーでは なく、何か皆と意味のあること、すなわち何かが生まれる場であることを考えたいものです。