「変わらぬ道」

 個展会場で電話を受けた。旧知の画家Uさんからだった。用があるふりをして、つけ加えた。「島田さんは、このごろ思い上がっているとXさんが言っている」Xさんは、ごく親しい画家である。二人とも東京の人である。その口調に「ついに言ってやった」という快感を聞いた。これは、多くの周囲の人の複雑な気持ちを代弁しているとも感じる。個展会場なので「そうですか」と電話を切ったけど、苦いものが残った。
 その電話を受ける数日まえに、石井一男さんの会場が静かになった時に「これだけ賞賛を受けていると、同じ数、あるいは、それ以上の反発と批判があるんですよ」と伝えた。石井さんは驚いたように「え!そんなことがあるのですか?」と聞いた。家に帰って、Uさんに電話して「ぼくが思い上がっているという点を教えて欲しい」と穏やかに聞いた「ほんとに聞きたいのか」「そうです」。「Xは言っとった」「いやXさんには直接聞きます、貴方が電話してきたから、貴方の思いを聞きたいのです」。その理由は、いいがかりであって、簡単に論破できるものだった、それを指摘するとさ更に声を荒げた。理由は論破できても感情は論破出来ない。尾ひれがついて拡声されていくだろう。もちろんXさんとも話しをした。こちらとはなんということもなかった。でも、「思いあがっている」という指摘も間違いではない。通信の読者でも拍手している人もいるかもしれない。息子(陽)に、「今日、こんなこと言われた、どう思う」と聞いたら「おとうさんは昔からそうやったんと違う。お姉さん(私の)たちが、誠は生意気だったと、昔、怒っていたから」と笑った。
 生意気の最たるものが行政や権威的なものに対する身のほど知らずな態度。相手の肩書きや、自分の得失を判断の基準にすることを戒めていることが、時に戸惑わせ、憤慨させていることは、十分に承知しています。
精神科の先生で画家でもあるYさんに「不適合能力に優れている」と言われ、時に「鈍感力に優れている」と言われる。「出る杭は打たれる」という諺があるけど、私の場合は「杭打ちをしているところに、わざわざ、打って下さいと頭を差し出している」と言った人もいた。裏返せば「思い上がっている」という指摘に繋がる。腹立っている人がいかに多いか。
 失礼の数々は、お許し願いたい。私の価値判断が、多くの場合、世間様と相当違う。それが私の本質であり、辿ってきた、変わらぬ道なのでしょうね。「硬い信念」と「思い上がっている」のとは紙一重なのです。

「不思議な出会い」

 石井一男展のことです。最後の1週間を販売をしないことに決めた2日前の日曜日、会場は変わらず多くの方が見入っていた。事務処理の能力を信用されていない私は、いつもは受付に座らないのですが、スタッフの林さんがお休みで、終日、私が会場にいたのです。私と同じ世代と思われるご婦人が、入り口から一直線に私の方に「意を決した」という感じで来られました。熱心に見入っておられる姿を記憶していたのですが、帰られたとばかり思っていたのです。「ウィンドウの中央の作品をいただきます」と言われました。少し前(2002年)の作品で、縦長の暗い画面に、両手を合わせた弥勒菩薩のような女人の立像(画集ⅠのNo27)で、額に入れずにピンで止めて展示していました。ケースに保管されていたのを石井さんが思い出して飾ったばかりだったのです。西村珈琲店で休んで、まさに意を決して踵(きびす)を返されたとのことでした。それではと、「お名前、住所を」と書いていただく手元を見ていて、苗字のところで、思わず「珍しいお名前ですね。詩人で、そのお名前の方を知っています」と言うと「私の夫です」と言われました。詩人の名前は以倉紘平氏。
 私が神戸大学グリークラブの指揮者だったころ、作曲家の中村茂隆さんに男声合唱曲を書き下ろしていただいていた。3年の時が日本民謡による「三つの仕事歌」。4年の時が合唱組曲「二月のテーブル」で、その詩が以倉紘平さんの「小さな街が流れてきた」「二月のテーブル」「燃え上がれやさしい海よ」だった。予期もせぬ出会いであったのに、その詩の一節が口に出た。夫人が「二月のテーブル」と即座に答えた。ぼくたちはこの曲を関西合唱コンクールに出すために夏の合宿を含め、徹底的に歌いこみ、詩の意味を議論し、体の芯からこの曲に浸った。あの青春の日々が瞬時に蘇った。

窓ぎわの小鳥たちは 声をふるわせ 買物かごの野菜は うなだれて緑をなくした
貧しいテーブルのように 与えることを忘れた 海の上を しめやかな調べが流れて
葬列が晴れ上がった 空を渡った
やがて冷えたコーヒーのように 朝の雨がこの窓ベを洗い どしゃぶりの雨に
とじこめられて二月が 貧しさの歌を 歌うだろう
どうか愛を やさしい愛を 海のように豊かな愛を このテーブルに この街に この大地にと

「・・・海は何かを産もうと身もだえるけれど、本来の海の死はおおいがたい。弔いの鐘のひびきが港町に流れ、人間の危機、警鐘が、雨の降る港町にひびきわたる・・・」(以倉紘平)

 そして組曲の最後には、「燃え上がれやさしい海よ」のフレーズがベースからはじまり、各パートでリフレインされながらクライマックスへ向かい「冷え切った白いお皿に貧しい魚が並んでいたレストランのテーブルに、今は、輝く料理がおかれるように・・・!」という祈りの中で、私たちは感動に震えながら曲を閉じたことをまざまざと思い出しました。中村先生の曲も素晴らしく、若いぼくたちがこの曲に思いを込めて、燃え上がらないはずがない。  夫人からは、石井さんの絵に惹かれた理由(わけ)を教えて頂だき、二人で、思わず涙ぐんだ。それにしても石井さんの絵に秘められた力には驚きます。その源についても良く分かっているつもりです。石井さんには変わらぬ、ゆったりとした時間の中で、作品と向かい合って頂きたいと思います。販売をする展覧会は来年の11月までお休みです。