「同じ空を眺めながら、、、」

秋の気配は風で知り、雲で知り、陽の昇る時で知る。今朝は5時35分に西宮あたりから見事な茜の丸顔を見せた。その陽も刺すような輝きはない。毎日、空を見上げ、流れる雲に見惚れる。何層にもなった雲は、微妙に色合いを異にし、刻々に姿も、速度も変えながら音もなく行く。斑に、鱗に、東雲(しののめ)に。穏やかで美しいけど、この同じ空が世界につながり、その下に人々や生物の営みがあり、生も死もある。そして戦火も飢餓も。
地は平安であって欲しいと願うが、平安は等しくは訪れない。血で贖われた今の虚像の成功体験などすっぱり決別するほかない。平安は安逸に流れる心と闘い、守りぬくものだ。
見上げていると、西川千鶴子さんがモンゴル草原を自転車で走破した時の写真のはじける笑顔を思いだした。見晴るかす草原の地平線の上には白と蒼との斑模様の雲に覆われていた。障害にも負けず、自分らしく個性的に生きて、後を私に託した。同じ空を眺めながら、「おおいなる意志」が続く限りの地を覆って欲しいと思う。

窪島誠一郎さん(無言館主)の話を聞いた。(神戸風月堂サロン) 「このごろ死のことをさかんに思うようになった。それは死ぬということへの怖れではなく、遺された日々のこと。自分と向かいあうこと」。
窪島さんはぼくの一つ上。その仕事ぶり、内容は、ぼくなど足元にも及ばない。でも、この言葉には深く響鳴するものがあった。したいこと、やっておかねばならないこと、が明瞭に頭にあって、刻々と残りの日々を数える。震災からの日々を私のこれからの日々が超えることはない。過ぎれば一瞬だろう。我が儘を通して、お付き合いをほとんど断って北野に籠居して、書く事、読む事、日常の事、勿論、仕事の事。寝ている時以外は、これらのことに掛かづりあっている。大学時代の恩師、小林喜楽先生がぼくに贈った色紙に「艱難辛苦、なおこの身に積もれかし、限りある力ためさん」とあった。でも、私が抱えていることは、全て「願ってもないこと」である。足りないのは時間だけである。