「ハイ、ご一緒に」

大変な時代になってきた。今夏の異常な暑さ。世界中から届く異常気象。温暖化。格差の歴然とした社会。ひたひたと押し寄せる環境破壊は、ずっと進行してきたのだが、危機とはメディアの上だけのこと、自分自身に痛みが届かぬ限り見て見ぬふりですましてしまう世間。「昭和の日本人は、恥ずかしい」と言ったのは江分利満氏だけど「平成の日本人は、もっと恥ずかしい」

ハイ、ではみなさん、ハイ、ご一緒に― (中原中也「春日幻想」より)
なにも考えなくてすむ「みんなご一緒」主義で、右往左往するばかり。
その空虚を埋めるのが「消費」と「イベント」。それが経済を支える柱らしい。
新聞の伝える大きな役割は「経済成長(あるいは減速)」と「世論調査」らしい。
「みんなご一緒」の結果報告。

暑さのせいで、こんな憎まれ口を叩いてしまった。
自分の仕事も大変な時代になってきた(といってもずっとそうだった)。
でも、なぜか心は平静なのです。決して止水明鏡という悟りではなく、絶えず漣(さざなみ)は立っているのですが・・・・
毎朝、陽が昇る前、全天を見渡し、自然の中に身を晒す。別に禅をやっているわけではなく、朝食を採りながら新聞を読み、放心しているだけなのですが、そこで感じる風や光や香りや鳥たちの飛行や微かな街の音。そして東から陽が昇り、まっすぐに私の額を焼く。
今の、ぼくの一日は、その余韻が体を浸して消えないままに、夜を迎える、そんな気がしてなりません。
それは隠棲しているわけでもなく、諦めているわけでもなく、自分が出来ること、出来ないことを見極めて、あるべき自分を見失わない、目の前の出来ることに集中する、そんな感じでしょうか。

一本の道

画廊のこと、作家たち、サロン、基金、執筆、読みたい本、知りたいこと、伝えたいこと。それらは、すべてが関係をもっていて、どこからか静かに降り積もってくるのです。
この時代、この世界で、ちっぽけな塵みたいな存在である自分に出来ることは何なのか。
年齢を重ね、経験を積んだことで学んだことといえば、せねばならぬことと、出来ることとの見極めかもしれません。そうした上で、自分の歩く道が、すっきりと見えるのです。
その上で、朝、ゆったりと自問をすれば、今日、なすべきこともはっきりとし、それ以外のことは、どうでも良くなってしまうのです。