北野籠居人

一人で生活するようになって、食事や家事を一体どうしているのか心配される方も多い。幸い、半同居のように次男夫妻が建築事務所をここに置いて、遅くまで仕事をしている。そのために楽しみにしていた美術書のライブラリーとオーディオルームを明け渡した。でも、家に人の気配があることは心強い。家人が担っていた画廊の経理をはじめ細々としたこと、そして家事が、どさっと被さってきた。スタッフや家族の協力を得ているが、それでも今までとは全く違う生活を送っている。

家人が教えようとした料理は、厳しい指導に嫌気がさしたこともあったが、今はむしろ楽しんでいる。様々な野菜スープ、パスタ、ラタトゥーユ、おからや野菜や卵を使った様々な料理、時にはステーキなどと書けば大袈裟だ。失敗も自分の作品なら許せる。このごろ、ポトラックと称して、持ち寄りのパーティーを試み持参したりする。腕前のほど?
このパーティーに参加した美木剛(元ジャンムーランのオーナー)さんに「ぼくが作ってん!」と、きんぴらごぼうともやし炒めを指さすと「見ただけでわかる」とのたもうた。すなわち「まずい」ということ。これで思い出した。稀代の目利き洲之内徹さんが「君の絵は見なくても分かる」と言ったことを。
「見ただけで分かる」舌の名人と「見なくても分かる」目の達人。言うだけ野暮でした。美木さん、いつも話題提供、ありがとう。 でも、めげずに、ほとんど毎日、たくさんのおかずを詰め合わせた弁当を持参する。多分、俳句や、絵や園芸をはじめた人たちが、まだ、その難しさもしらぬうちに、面白いと興奮するようなものかもしれない。時に手抜きしながらですが掃除、洗濯、風呂なども苦になりません。お寺の修行が、ここから始まることを見ても、思索の時でもあります。目覚ましをかけることなく、朝5時に起きてギャラリーに向かうまで4時間半。体操をし、朝食をとり、PCに向かい、本を読み、景色を眺め、考え事をし・・・・。そして句読点を打つように家事をする。時間が足りないだけで、家事は面倒ではなく気分の転換であり、新鮮な発見でもあります。何かを削らないと時間は生めません。それは「人つきあい」「外出」にしわ寄せされています。「イカリ」や「コープ」が外出先では、ほとんど「主夫」ですね。北野籠居人と呼ぶ理由です。(3月28日)

東京で

六本木・森美術館の「六本木クロッシング展2010-芸術は可能か?」は、疲れる展覧会でしたが 最後の壁にアーティスト達の言葉があり、オノヨーコさんの「雲の表情ほど美しいものがあるか・・・」が記憶に残りました。ひとときとして、とどまることのない、万化の自然は、見とれる他ない美しさです。私には時間がない、と言いながら、空を眺め陽を浴び、季節の移ろい、雲の表情、花々、風の行方、鳴き交わす鳥の歌に見惚れ、聞き惚れるのは、北野へ越して、通勤時間がほぼ不要になったからでもあります。でも心の在り処が違ったことがなによりでしょう。自然と向かい合い表現に挑む人間は、そうとう深い存在をかけていないと、敵うものではありません。そのことが、よく分かってきたこの頃です。恒例の「六本木クロッシング展」は、出来るだけ見るようにしています。今回は、前日(3月28日)に榎忠さんのお祝いの会があり、そこに木ノ下智恵子(元KAVC美術担当であった)さんの姿を見かけたのですが、木ノ下さんは「六本木クロッシング展」のゲスト・キュレーターの一人だったのですね。会場では森村泰昌さんの「独裁者を笑え」の映像がありましたが、同じものを前回のベネチアビエンナーレで見、そしてベネチアビエンナーレ会場で、忙しく取材している木ノ下さんとも会って、情報をいただいたことを思い出しました。(4月1日)

沖縄のこと

畏友・真喜志好一さんをお招きして第205回サロン  「沖縄を知ること、なすべきことなど」を行いました。スタッフを加えれば70名を超える人が、坪谷令子さんの話と真喜志さんの映像を交えたテ丁寧な話に聞き入りました。話の骨子は真喜志好一さんのHPで詳しく知ることが出来ます。情報公開で入手した公文書から「もうだまされない」と情報を分析し、普天間閉鎖、辺野古への移転は1966年、44年も前からの米軍の意図であったこと。それらを日本のお金で、しかも増強されて計画されていることなどを証明され、目から鱗が落ちる思いでした。しかし、理解したからといって同情し、労わるだけでは何も変わりません。ウチナンチューから言えば、私たちヤマトは「心の内なる植民地主義者」にしか見えないでしょう。それに直接関わることは難しいかもしれませんが、日々、なすべきことは山積しています。それぞれが、果たすことを果たすしかないでしょう。(4月7日)