静かな気配

あけまだきの空から、粉糠雨が降り続き、冬枯れの木や小さな残枯葉にひとしきり留まっては、雫となって落ちる。雀たちが枝を縫うように飛び交い、静寂に句読点を打つように鳴き交わす。その声に共振するようにまた、雫が落ちる。晴れた日の陽射しは、とっくに春の訪れを告げているのに、長い冬は足早には去らない。眼下に眠りから醒めようとしている街も、どこかしら薄鼠色の衣装を纏ったように精気を失って見える。その気配のうちに、息を詰め、目を凝らし、耳を傾け、心を開いていると、薄明が含む光を、静寂が伝える小生物の蠕動(ぜんどう)を、樹々に芽吹いた蕾を、疲弊から抜け出して命を蘇らせ、目覚めようとする意思が、微かに受け取られる。この時の流れを懐に抱きとめて暖めておきたい。この穏やかな風に肌を晒していたい。この静かな気配を心に留めておきたい。見えないものが見える瞬間は、こうした中からしか生まれないから。(3月4日)

絵の前の涙

「絵を見て泣いたことがありますか?」は後藤正治さんの「奇蹟の画家」の帯のコピーだ。高野卯港さんが生前に夢見ていた画文帖「夢の道」を刊行した展覧会に関連したサロンが終わった後、友人と話しをしていた。会場の正面には、卯港さんが青春時代を過ごし、「洗関の淀の流れに、いく筋もの燈りが、揺れていた。橙色が深いブルーにひたって燃えていた。いつか、きっとここが、ぼくの舞台、小説の舞台になるであろうと思った。なつかしい地、ぼくの心の里」と23才の日記に書いた毛馬(大阪・都島)の淀川堤防を描いた「春風曲」と、亡くなる直前(2008年9月上旬)まで筆を入れていた絶筆「鞆の浦風景」が飾ってあり、この2点は手放すつもりは無かった。友人はすでに卯港さんの最後の個展で「星の入り江(高砂港)」をもとめておられ、私がお宅まで、飾りに伺った。今回、どうしても「鞆の浦風景」を譲っていただきたいと、切々と懇請された。詳しくは書くことはできませんが、神戸に思いを残すご高齢の義父の枕元に飾ってあげたいと話しながら、最初は目尻の端に滲むように、やがて瞼から溢れるように雫が落ちた。周りに人はいたが、その一瞬は深い静寂に支配されたように僕の瞼も感応し、思わず彼の手を握り涙のConcertanteとなった。卯港さんにとって、絵にとって、無上の幸せである。「春風曲」は、石井一男さんのご縁で最近、遠方から来て下さるお客様から懇請されて譲った。絵の幸せな居場所を考えれば、これでいい。(3月9日)

春は名のみ

窓の外は、横殴りに粉雪が走っている。徳山を過ぎたあたりから地面が白かったけど小倉に近づくと雪世界となった。博多に向かっている。福岡市立美術館の「舟山一男・藤崎孝敏展」を見にいくために。博多は寒かったが、雪ではなかった。でも地下鉄・大壕公園駅の階段を上がると、風交じりの粉雪。3月半ばだというのに。展示作業の忙しいなか、事前に連絡していたので学芸課長の渡辺さん、担当学芸員の正路さんがお相手してくださった。お手を煩わせる用件でもないけど、写真を撮って藤崎さんに送らないといけないので、許可がいるのだった。福岡行きの前日に鉛筆画の木下晋さんから久しぶりに電話があった。なんと藤崎さんのあとに福岡市立美術館で木下さんのコレクション展がある、そのための資料の依頼であった。不思議なことといえば、福岡行きの1週間ほど前に知人から「アンドレ・ブルトンへの”痙攣“がダリに家族との断絶をもたらした」という、シュールレアリストの反カトシシズムについての論文を受け取り、論者と興味深いやりとりをしていて、氏から、ダリのカトリック回帰を象徴する”ポルト・リガトの聖母“が福岡市美にあることを教えられていたのです。この作品とも、じっくりと対面することが出来ました。このあと、まえから行きたいと思っていた、福岡アジア美術館へ。ここの学芸課長の黒田雷児さんが、1960年代の前衛美術運動について調べておられて、中島由夫の関わった「アンビート」や「反芸術」の運動について問い合わせがあり、近々に大部の著書を刊行される。明石市立文化博物館での「中島由夫展カタログ」をお渡したが、無念にも展示替え休館でアジア美術館は見ることが出来なかった。(3月10日)

銀座にて

武内ヒロクニさん夫妻と上京した。銀座の二つの画廊で「しあわせ食堂原画+色鉛筆の世界展」同時開催の快挙。
歩いて6分の距離にある二つのギャラリーを何度往復したことが。その路上で何人もの画家さんや知人に出会う。
みんなヒロクニさんの展覧会に来て下さった方。植松永次さんともバッタリ。タクシーで浅草橋の植松さんの個展へ。
墨田川を望む古民家を使った風情のあるギャラリー。素晴らしい。ヒロクニさんのオープニングはしあわせ食堂レシピ。画廊さんのご苦労に頭が下ります。16日は鎌倉へ。松谷武判展(神奈川県立近代美術館鎌倉館)と鶴岡八幡の倒れた古大銀杏にも会えました。東奔西走。しかし、松谷さんは、素晴らしかったですね。白と黒、素材もボンドと鉛筆という、シンプルながら、切り拓いてきた地平の豊かさに瞠目しました。