「奥さんは怖い」

「なんでそんなに奥さんに気を使わんといかんのん」ヒロクニ画伯が、ギョロ眼を見開いて大声を上げた。ル・サロメの新しいお店でワインを飲んでいた。話はこうだ。ぼくがクラシック党であることが気にいらないヒロクニさんが、時々、聴いてみてとジャズのCDを呉れる(あれ?返さんといかんのかな)。ソニー・クラークとかチャーリー・パーカーとかジミー・スミスとか。「最近は家で音楽をほとんど聴いていない」「なんでや」「家内が呼んだ時に応えんといかんから」と言ったからだ。ヒロクニさんはサホリさん(奥さん)に偉そうにしているのだ。でも奥さんは怖いものだ。世界の王貞治も長島茂雄も「なぜか奥さんは怖い」と言っているのを聞いて笑ってしまった。しかし関白ヒロクニもサオリさんが入院していた時はオロオロして、一緒に「鶏雑炊を食べたい」と呼び出されたりした。
私が家で音楽を聴かなくなったのは闘病中のさつきさんが、何回か家で転んだり一瞬気を失ったりしたりしたからなのです。それだけ治療がきついのです。だから、「あなた」と呼べば「なんだい」と、すぐに答えないといけないのです。一時は、さつきさんの身辺にベル(振れば大きな音がでる)を置いていたほどです。
さつきは悦子のことですが、口うるさい自分を「さつき(五月蠅)」と冗談で言ったことからきています。
 「あれが効きます」
「あれを試してみて」「あそこにいったら」など親切なアドヴァイスをたくさんいただいた。調べてみると、確かに効果があった例や証言が紹介されている。高価な飲料やハーブも試してもみた。本も読んだ。しかし、一口に胃癌といっても、人それぞれ。場所、ステージ、免疫力によって、同じ薬でも結果は千差万別です。
 100人が試して5人に効果があって95人には駄目でも当然、「効いた」症例は積み上がり、1万人では500人に効いたことになります。それもほとんど延命ということです。その5%に入れるかどうかだと思うのです。もちろん必死ですから、早め早めに手をうち、相談しながら様々なことをやってきました。しかし、それを決めるのも本人の勘ということになります。
 「島田さん、女がおったん!」
酢頓狂な声を上げたのは、さつきさんの友人でナタリー・モーダの弘子さん。「悪行の報いがきたんと違うの」と笑いながらいうのはバー崑崙の田村さん。どちらも「家内の病気は、私に責任があるかも知れない」とさつきさんのストレスの原因についてしゃべったことに反応しての言葉。
別に私が聖人君子の朴念仁だとは言いませんが、私が言ってることは、そうではないのです。
40年の結婚生活で、ふだんは口うるさいさつきさんが、私のやることに反対したのは 二度だけです。
一度目は三菱重工を辞めて家内の実家の事業である海文堂書店を継ぐ時。
「サラリーマンに憧れて結婚した。同族で苦労するだけ」
二度目は神戸市長選の渦中にいた時。
「離婚してからやって!」
予言通り、私は同族経営の中で大変な苦労をしました。「守って欲しい」と「攻めないと守れない」という立場の違いです。そうした軋轢の中で、さつきさんは一度も肉親を擁護して私に「辛抱して」とか「貴方が譲って」と言ったことはありません。
お母さんが病に倒れ、親身にお世話をして和解したのですが、それまでは親子の縁を切られもしました。
海文堂書店を離れる時に相談した弁護士さんが、私のようなケースでは自分の肉親の方について「貴方が辛抱して」「貴方が譲歩して」という人が99%なのにと驚いていました。
そしてその後、わだかまりを解く役割をきちんとするのですから、ほんとうにたいした人です。その板挟みのストレスは測り知れないものがあります。もちろん癌体質の家系であることに対する油断もありましたが。
病に伏せた1年半前までは、私はまったく家事音痴で、家の中のこと、子どものことも全てまかせきりで、自分のやりたいことだけに猛進してきたのです。
「いつになったら私の相談にのってくれるの」
いつも誰かの相談にのっている。「相談」「支援」「助成」などに忙しい私に呆れてのさつきさんの口癖です。わたしのことをほったらかしにしておいて、いつになったらこちらを向いてくれるのという、さつきさんの悲鳴です。罪滅ぼしに二人で旅行を重ねてきました。
忘れもしません、一昨年8月21日イタリア北部の街、アオスタからモンテ・ビアンコ(モンブラン)へ登っていくロープウェーの中で突然、倒れたのでした。
それから1年半。
「今こそ約束の時だ」と決めたのです。38年間、支えてくれた。今度は私の番だ。
他人に親切にする、力になってあげる。そして感謝される、頼られる。それは心地よいことです。しかし、今、目の前にあるこの人の危機に向かい合わなければ、私のいままでの口舌、振る舞い「すべては何なのだ」と思ったのです。
自分に向かい合い、問いかける日々です。父母の死、友の死、尊敬する作家たち、様々な死と向き合ってきました。そして心に抱きながら追悼を捧げてきました。本にし、画集にし、展覧会をするなど。しかし、考えてみれば、生死の水際を歩む人と、全ての時間や苦しみを共にあるという向かい合いではなかったのです。なにものにも勝る学びの時を過ごしています。あまりにも大きく、あまりにも辛い学びではありますが。