「ギャラリー”しまった”」

毎朝5時には起きる。この習慣はいつ頃から始まったか思い出せない。リビングに上がると眠りから覚めようとする大阪まで遠望される街や海は、昼間の余熱を孕んだ夜景とまた違って、気だるさと明けていく少しの緊張との狭間を揺らいでいる。体内の細胞が目覚めはじめ、一日が始まる少しの緊張と重なり合い、しばし薄明の空に見入ってしまう。毎日のことだ。北野へ越してきてはや6ヶ月。5時という明るさがまるで違ってきた。
そして太陽が昇る位置が日々、北よりに。その景色を見ながら珈琲をドリップし、朝の家事がはじまる。
6時に朝食。エプロンこそしないが主夫業が板についてきた。ギャラリーに10分の距離なので、出勤まで5時間ある、といっても、家事と“もの書き”であっという間だ。引越しを終え、30周年を終えて、息が抜けるかと思うと、そうは行かない。画廊経営はいつだって楽ではない。まして現今である。でも「最悪の場合の想定」などには無縁、ぼくの見通しはいつも甘いのだ。ゆっくりしようと思ったけれど緩めば倒れるので、かえって展覧会の数が増えてしまった。丁寧に生きたい丁寧にしたいと思うのだけど、丁寧には際限がないことも分かった。無愛想ならば一時で済み「さようなら」で済むのに。
白洲次郎気取りに「半分の人に嫌われないと」の冗談が本当になってしまった。文士を気取って書斎を作ったら、才もないのに原稿書きに追われるようになってしまった。66才にもなって甘い計画で家を建ててすっかり手元不如意になってしまった。これ以上作品を買うなと経理に言われ、そう決心しているのに次々買ってしまった。9年前に北野へ移ってきたときに小森星児さん(当時、神戸復興塾塾頭)が、ギャラリー島田ではなくギャラリー”しまった”だ、と言ったけど、ほんとうに”しまった” “しまった”の日々である。
“ギャラリー閉まった”ではしゃれにもならないけど、存続できるかどうかは、その役割が地域にとって不可欠なものであるかどうかを皆さんによって審判されるのでしょう。

まな板の上の鯉。「被告、一歩前へ」