「14年目の1・17」

1月17日。震災から14年目、ギャラリーが誕生してからの31回目の冬は、どことなくシンと底冷えのする静けさで迎えました。この日を「重い喪失感に囚われる」と閉じこもった人もいます。私はといえば、この14年はそれまでの倍の、そしてこの1年は3倍の濃密な時を背負ったような気がします。家人の闘病の日々は、何もかもが新たという思いです。家事というものがなんと奥深く、幅広く、そして哲学的なことか。本を読み、音楽を聴き、劇場へいくよろこびを半ば失いました。しかし、生きようと明日を掴み取っていく日々は観客席ではなく主役としてなまじのアートを超えたところで、今、を演じなければなりません。
そんなことをぼんやりと考えながら街を、海を眺めていると、気がついたら5時46分を少し過ぎて、あわてて手を合わせました。

この日はいつも「竹下景子さんの朗読の会」のお世話をしています。私自身はたいした役目はないのですが、早くからホール入りをしています。事務処理能力の欠如はあまねく知れ渡っていますので、ボケッとしてそこにいるだけでいいのです。
心配していたお客様も例年並みで、やれやれと客席に座ると、竹下さんの朗読のマイクが変!すぐに舞台裏へと飛び出すと大音量で「ただいま18階で火事が発生しました。誘導に従って避難して下さい」と繰り返しの放送。「1・17 安全の日」の抜き打ち訓練かと思いました。情報が混乱する中、ともかく万が一を考え、一人のけが人も出さないために、残った人も説得して、ほとんどの人が退出した頃に鎮火。今度は続々と戻ってきた人の対処と「中止か再開か」で議論。再開と決めて、竹下さんが戻るまでをどう繋ぐか。
慌てて音楽のゲストである智内威雄さんの控え室へ。着替えている智内さんに「つないで」と声をかけて、舞台へ。黒田裕子さんが話しているのを押しとどめるように智内さんへバトンタッチ。竹下さんも戻って、時間の短縮を打ち合わせて再開。今度は裏でチケット払い戻しの相談。忘れられない夜となりました。こんなはずではなかった。
これでよかったの?と渦巻き波立つ心に眼が冴え、明日の講演がちらつきながら、いつしか眠りに落ちました。

18日の日米中市民フォーラムでの私の講演も無難の域を出ず、海外から素晴らしいゲストを迎え内容のあるシンポでしたが、客席がまばらで恥ずかしい。なにやら中吊にされたような、自己満足から遠い、悶々たる二日でした。
「震災」に拘れば拘るほど、なにか大切なことをはぐらかされて、もどかしさばかりが苦く残る気がします。
渡辺白泉(昭和の初めのころの抵抗俳人)に「鳥篭のなかに鳥とぶ青葉かな」という句があります。私の思いなどは自前の鳥篭のなかで飛んでいる鳥が青葉(理想)を見ているに過ぎないのですが、それでも飛ぶということ、青葉を見ているということが大事なのです。