クリスマスローズ

食卓とテレビの前にクリスマスローズの花が飾られている。そして書斎に3輪。これは、この原稿を書くために摘んできたもの。冬の貴婦人と呼ばれるにふさわしい。でも、もう5月になろうというのに未だに美しく咲いている。
昨年、家人が「クリスマスローズが綺麗に咲いたわ」と、庭で指さしたときは「はあ?」という感じだった。すこし俯き加減の後ろ姿に「地味な花だな」と思った。猫の額の庭に自生したり、育てたりした花を、小さな花器に入れてトイレや玄関に飾るようになった。今までの私には考えられないことです。花瓶にたっぷりと飾られたクリスマスローズの一輪一輪は、一つとして同じものが無いほど変化に富んでいる。 赤、紫、白、黒や、その中間色などが複雑に入り交じり、一輪ごとに微妙に変化し、かつ、印象派の点描のようであったり、網目紋であったりする。形状も、盃だったりラッパだったり。見飽きることがない。花弁に見えるのは萼(がく)で花は退化して蜜菅になっているらしい。萼(額)紫陽花と同じですね。クリスマスの華やかさもなく、その頃に咲くわけでもないのに何でこの名前がついたのだろう。

わたし好みの地獄の花

この花は寒さに強く、半日陰を好むという。いいなあ。そして学名Helleborus(ヘレボルス)は、ギリシャ語の「地獄」に由来するらしい。 荒れた土地に自生することからついた。ますますいいなあ。地下に横たわる、黒く短い ”根”にちなんだもう一つの学名Niger に至っては、昔、「インドの烏」と呼ばれていた私にピッタリです。日本では「雪起こし(ゆきおこし)」とも呼ばれています。 寒さに強く、冬枯れの大地で雪を持ち上げて花を咲かせるからなのです。
 5月になろうとしているのに、本当に強い花ですね。今、書斎にある一輪は雌蕊(めしべ)のところが少し気味がわるいほど異常に膨らんいます。多分、種を宿している(胚珠?)なのでしょうね。

この花に心惹かれるのは、私が大切にしている作家たちと重ね合わせてしまうからです。 何故か、独学で徒手空拳、絵だけに命を削る作家たちが多いのです。木下晋、藤崎孝敏、松村光秀、武内ヒロクニ、石井一男、高野卯港、福島清、山内雅夫など、まことに不器用に、しかし真摯に作品に向かい合う姿勢は、そのまま作品に写りこみ、ぼくは、その鉛筆や絵の筆跡や勢い、息遣いまでを舐めるように見るのがともかく好きなのです。 これらの作家たちはまさに冬枯れの荒野に自生するHelleborusなのです。

不屈者

ノンフィクション作家の後藤正治さんが、石井一男さんのことを文藝春秋の臨時増刊号に書いて下さいました。氏の作品は大好きで、全部を読破する勢いで読んでいます。何度も泣かされました。何故か、地下鉄に乗っている時で、あくびでごまかしました。不屈者も後藤さんの本のタイトルです。
 勝ち敗けに関わらず、自らの存在を賭けて戦っていく人たちの、挫折と挑戦(リターンマッチ)の姿に後藤さんの思いが重なり、それに私の思いも重なり、ぐちゃぐちゃになって、心揺さぶられるのです。
 私も、自ら困難な道を選びとっていく、後藤さんの描く人々と似通った、純粋さと一徹さをもっている作家にどうしようもなく惹かれるのです。そして「遠いリング」(岩波現代文庫)のグーリーンツダジムの会長、津田博明に自分を重ねましたと読後感を伝えると「ハハンと思いました」と返ってきました。後藤さんは決して勝負としての栄光を書くのではなく「生きる姿勢」を問うのです。それは、私の作家を見る眼差しと同じであり、その問いは結局は自分へと返ってきて「不屈者たれ」と背中を押されるのです。 Helleborusに見入りながらの雑感です。

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