忙中旅あり イタリア編(後)

 フィレンツェを書いて、あとが書けなくなってしましました。実は、このあとミラノへ戻って、そこからフランスとの国境沿いにあるアオスタという古都へ2泊してモンテ・ビアンコ(モンブラン)へロープウェーで登り、そのあと前回、雨に祟られて中止になってしまったヴェローナの野外オペラ「アイーダ」を見て(これが寒かった)、ヴェネチア・ビエンナーレへ。
 最後はミラノで美術館に篭ったのですが、家人がアオスタで体調を崩し、なんとか旅行は続けたのですが、帰国後、検査、入院、手術となってしまいました。健康そのものの日常だけに、さすがに驚きました。幸い経過は順調ですが、しばらくは治療が続きます。ギャラリーの仕事にも復帰し、皆様にお会いできるのを楽しみにしています。でも気楽にやって欲しいものです。
 そんなことでイタリアの旅の後半は、すっかりセピアに色褪せて彼方に消えていきました。それはそれで、一杯、面白い話があるのですが・・・

ヴェネチアビエンナーレ

 ヴェローナから列車でヴェネチア・サンタルチア駅を目指しました。榎忠さんがビエンナーレ日本館の候補に挙がっていたけど次点に終わった時点でビエンナーレへの興味を失っていたのですが、束芋さんや森村泰昌さんが話題になっているので急遽、予定に入れました。ベニスの4回目くらいなのでビエンナーレ展だけに絞って8時間滞在しました。
第52回ヴェネチア・ビエンナーレ(52nd Venice Biennale)の展示テーマは、「with the Senses Feel with the Mind. Art in the Present Tense(感覚で考え、心で感じる。同時代のアート)。全体のコミッショナーはMoMAの名キュレーターとして名高かったロバート・ストー氏。アルセナーレ(Arsenale)、ジャルディーニ(Giardini)を主会場に島全体に展示場が点在し、とても全部は見れません。
日本館代表はコミッショナー港千尋(写真家)が選んだ岡部昌生さん。作品はフロッタージュという、簡単に言えば石の表面の凹凸を紙を当てて鉛筆で写し取る技法に依る作品で、私は最近、神戸での展示を見ています。岡部さんの作品は広島の宇品駅の560メートルにも及んだプラットホームの縁石をフロッタージュしたもので、アジアを侵略した兵士が宇品港から出ていったことと広島原爆の記憶を刻んだ場として選ばれています。「私たちの過去に、未来はあるのか」The Dark Face of the Lightというタイトルの由来でもあります。
日本館の展示は黒と光のモノトーンで構成され、いい感じでした。しかし、岡部さんの思索的なメッセージが伝わるかと言えば、疑問です。入口に掲げられた港千尋の文と技法を見せている映像はありましたが、理解を補うパンフやチラシもなく、忙しく動き回る人々にはほとんど届いていないと感じました。確かに国際展の特長として社会の先端としての美術家の意識として「戦争」「差別」「環境」などが重要な要素で今回も色濃く感じました。それにしても、岡部さんの仕事はここで展示するには余りに内省的で在り過ぎます。外国の方に理解してもらう普遍性に距離があると思います。
日本館は1955年に建てられ、設計は吉坂隆正。詳しくは書きませんが誕生の由来、その後の経緯からしても、余り熱意を感じない日本館で残念です。真っ先に日本館へ寄ったのですが、ここで木ノ下智恵子さん(神戸アートビレッジセンター)にばったり会いました。御互い「なんでここで」と笑いました。それにしても我が榎忠さんが美術評論家:椹木野衣(さわらぎのい)さんの推薦で有力候補の挙げられていながら選ばれなかったことが残念です。「アート万博」ともいえるこのビエンナーレには岡部さんよりは榎さんが最適だと感じました。榎さんの作品が発するパワー、意外性、問題意識の普遍性、オリジナリティーの強烈さなど、榎さんが出展していたら大きな話題になったことは間違いないです。

全体の印象

〔1〕ロバート・ストーの構成は穏当なもので、ジャルディーニ会場はMoMA(ニューヨーク近代美術館)、アルセナーレ会場は昨年見てきたNYから北へ1時間ほどのナビスコ工場跡地の新しいアート・スペース、DIA:BEACONを感じました。
〔2〕束芋さんのアニメは三階建ての小さな玩具の家に大きな手で家具を並べカーテンや絵を飾るという小さな幸せの日常と、その手がアトピーで痒いから引っ掻くという行為を見せながら現代との違和感を伝えていました。
 森村泰昌さんはサンマルコ広場の回廊にあるギャラリーで見ました。ヒットラーやレーニン、アインシュタインなどに成りすまし、現代への危惧を表明しています。
〔3〕展示はオーソドックスに、表現はポリティカルに。
〔4〕前回の混沌として強烈なエネルギーを懐かしく感じました。どこかに澤田知子、藤本由紀夫さんも展示している筈ですが探せませんでした。ずっとサンマルコ広場近くで休んでいた家人と合流して列車でミラノへ向かいました。

そんなことでイタリアの旅は遠く彼方のことになってしまいました。

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