蝙蝠北野を飛ぶ

 毎日が、飛び去っていく。おいおい、待ってくれと、歳を自覚しながら弱音を吐いても、時間だけは万人に等しく、私だけに優しくはなれないようだ。
 海文堂を去ることが知れてから、ほんとうに多くの人から励ましをいただいた。そんなに晴れがましいことでもないのに、身に余ること夥しいのである。身が引き締まるのである。自分では忸怩(じくじ)たる点、多多あり、その深い自省のなかでの再出発である。
 ぼくのようなタイプは多くの人を傷付け、また我知らず、人を踏み台にしてきているに違いない。そうしたしがらみを捨てて、原点に回帰する時でありたい。とはいえ、実際にぼくがやろうとしていることは、新しい“しがらみ”を構築しているだけなのだから、ぼくの業は相当に深い。
 新しい画廊との出会いは、運命的なもので、海文堂を離れると決まった時には、こんな形では考えてもいませんでした。いわば、私を取り巻く状況が、どんどん背中を押して、ここまで連れてきたのです。
 最初は、もっと小さな規模で、元町界隈を探しました。お金はないし、状況は悪いし、でも、どうせやるならいい空間をと、探し回りました。
 とても気に入ってます。ここで自分の最終的にやりたい仕事を追求します。ロケーションを心配して下さる方も多いです。しかし、そのハンディーを超えるトポス・場所にします。
 9月17日、海文堂ギャラリー最後の日に「海文堂ギャラリーとは何だったのか」というシンポジウムを3人のゲストを、お迎えして開きました。みなさんが私の転機を、1998年の生死に関わる頭部の手術と、震災を上げられました。どちらも私自身の死生感に関わることです。そして、今回の転機による、新しいギャラリー島田とアート・サポート・センター神戸のスタートは、その回答を書くということに他ならないという気がしてきました。どこまで高い志で貫かれるか、それが課題です。
ここで多くの優れた作家をご紹介出来ることを楽しみにしています。また、作家とともに育っていきたいと願います。私には絵は単なる売り買いの対象としての商品ではありません。結局のところ自分の思想を表現する場なのでしょう。今までは、まさに私の妥協的で曖昧な性格丸出しの画廊でした。これから、少しずつ研ぎ澄ましていきます。ご期待下さい。
 オープニング記念展の第一弾は、11月1日から、パリから藤崎孝敏さんを呼んでの展覧会です。昨年から、日本での作品の発表は当ギャラリーが受け持つことになりました。その力量、制作への態度などを含めて、大変な逸材だと確信しています。飾って楽しい絵ではありませんが、私の魂の深奥を揺さぶるものがあります。ぜひご覧いただきたい展覧会です。
 そのあと、7月まで記念展が続きます。
その詳細については、現在、構築中の、このHPをご覧下さい。11月初めに完成予定です。このHPは、読むHPを目指します。