「未踏の明日を生きる」

 11月14日で64才になりました。思えば遠くへ来たものです。気がつけば残りの日々を数えるようになりました。ギャラリー島田は北野へ転じて10月で7年目に入り、海文堂時代から通算すれば29年目に入ったことになります。ありがたいことです。皆さんから「なんで続いているのか不思議だ?」とよく言われます。ほんとうにそうです。
 これから経験したことのない老年へ突入するのだと、まだ暗い闇をしんみりと覗っていたら、誰にとっても、赤子にとっても老人にとっても「今」は未踏の明日なのだと、当たり前のことに気がつきました。それにしてもへんてこりんな昨日の日々をあるいてきたものです。へんてこりんな線を明日に向かって延ばしていっても、やっぱりへんてこりんな軌跡を描くのでしょう。
 それにしても慌ただしいですね。「忙」は「心を亡くす」の意味だそうですが、自戒しなくてはいけません。私の難聴は音を聞きとる繊毛が退化しているらしいけど、中井久夫先生の「こころのうぶ毛がすりきれる」(「記憶の肖像」より)という状態に陥っているのではないかと感じるこの頃です。
 この通信も12月号。いろんなことがありました。いいこと、悪いこと。64年生きてきても、心安らかに遠いのは修行が足りないからでしょう。あるいはアクティブであるかぎり摩擦も必然なのでしょうか?

「樹をみつめて」
(前号でご紹介した中井久夫先生の新著「樹をみつめて」の書評とも言えない感想を神戸新聞10月29日の読書欄に書きました。字数の制約(800字)のために難しく、もっと分かり易くと駄目を押されて、書き直しをしました。