「忙中旅ありフランス編 2006 つづき」

ブルターニュを旅する

 5月に展覧会をした銅版画家の渡邊幹夫さんにフランスに行くと話すと、是非、案内するからと誘って頂いた。モンパルナス駅からTGVで2時間。レンヌの駅で渡邊さんと落ち合い、素晴らしいドライブの三日間。暑い真夏に快適な車で、個人の旅では行けないところを案内してもらうのは最高の贅沢でした。簡単にルートを説明します。
 最初に訪ねたのがモン・サン・ミッシェル。豪快な海岸線から英国海峡を望むカンキャル(Cancal),城壁で囲まれた木造の古い建物で迷路のようになったディナン(Dinan)などを回り、ゴメネ(Gomene)のシャトー・ホテル(Chambres d’Hotes)に宿泊。翌日はケルトの巨石文化のカルナック(Carnac)、 5000年前の遺跡 ガブリニス島(Garrinis)などを回り、ムール貝やギャレット(そば粉の具沢山クレープ)とシードル(発泡リンゴ酒)で食事をし、リゾート地ヴァンヌ(Vannes)で宿泊。三日目はどこかで泳ぎ(海は冷たかった)、ラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日=音楽祭)で有名なナント市の隣町、サン・エルブラン(Saint Herblain)の素晴らしい図書館でやっている渡邊幹夫さんの版画展をゆっくり見て、ナントとレンヌの間にある田舎の渡邊さんのお宅へお邪魔しました。奥様とお嬢さんの素晴らしくおいしい手料理でのもてなしを頂きました。すべてが「ご馳走様」でした。

モン・サン・ミッシェル

 海に浮かぶ岩盤の上にできた寺院。そのことはここでは言いません。今回の旅は西村功先生に捧げるセンチメンタル・ジャーニでもありました。到るところで先生が描いた場所に立ちました。ここも先生が最後のフランスの旅で描いた場所。その絵が2枚手元にあり、そこは是非、訪ねたいと思いました。

カーンに泣く

 ブルターニュを渡邊さんの運転で旅していて、ぼくはルイス・カーンの「マイ・アーキテクト」という映画について話していました。ルイス・カーンの謎の死を巡って映画監督である息子(カーンの愛人の子)が父親の作品と人生をたどる素晴らしいドキュメンタリーです。私にとって、カーンの作品といえば、植栽のないドライな広場と海に向かって一直線に引かれたカスケード(水路)のカリフォルニア州ソーク生物学研究所ですが、今回の映画で印象的だったのは映画最後のバングラディシュ国会議事堂でした。バングラディシュの建築家のシャルーム・ウォレスがこう語ります。
「この国会議事堂は30年前のわれわれの国には考えられなかった建物ですよ、彼は指導者モーゼとなり民主主義を与えてくれた。民主主義を広める場としての議事堂を与えてくれたんだ。貧乏な国だというのを彼は気にかけなかった。実現するか否かもね。最貧国に彼の最大の建物が出来た。命を代償にしてね」と涙を流しながら語るシーン。そのことを話していると自分でも分からない感情がこみ上げてきて涙声になり慌てました。運転中の渡邊さんはびっくりしたでしょう。バングラディシュのこの建物は1962年に設計がスタート、1974年にカーンは亡くなり、建物の完成は1984年でした。
 私が涙したのは、私が変わらず応援している山内雅夫(現世的には全く不遇な)という作家の生き方、考え方と重なったからでもあります。その山内先生が西宮の仁川学院の立替工事にあたって中心的なモニュメントを任されることとなりました。氏は命と引き換えにこの仕事を完璧にやり遂げるつもりなのです。そして建築のもつ偉大な力、いや私が探し求めてやまない芸術の持つ力が心を直撃したのです。

馬と話す

 その最初の宿はゴメネ(Gomene)という田舎の民宿(Chmbres d’Hotes)。といっても7ヘクタールもあるシャトーのごときジュゼット・ル・モー(女主人)の館。その日は私たち三人だけが泊まり、ディナーはそこで取れた野菜のサラダと私達のために絞めた鴨料理。
 庭には大きな池があり太り気味の大きな馬が静かに草を食んでいました。私達が近づくと寄ってきて頭を出すのです。額を撫でさすってやると気持ち良さそうにしています。
 散歩を終えて一人池へ戻ると、重い馬体を揺すってノッシノッシと駆けてきました。昔、ゴッホが亡くなったオーベールのお墓を訪ねた寒い日。坂を上がっていくと夏にゴッホが描いた黄一面の麦畑は、いまは枯れ野原、そこに白い馬がやはり一人でいて、呼ぶと寄ってきて頭を撫でたことを思い出しました。
 その夜、私はベッドに入って本を手にすると10秒もたたずに寝入ったそうですが、渡邊さんは持参の望遠鏡で素晴らしい星空のシンフォニーを堪能したそうです。都会では考えられない美しさだったそうです。残念!
 翌朝、6時20分に起床。まだ皆が寝ている中、私は鍵を開けて肌寒い冷気のなかツキスミを捜しました。ツキスミとは学生時代に愛読した庄野英二さんの「星の牧場」に出てくる軍馬の名前なのですが、このブルターニュの農耕馬と私との中で重なったのでした。ならば私は戦争で記憶を失ったモミイチだ。そいえばシャワーのように流れ星が野原一面に降ってきて、ツキスミがモミイチを乗せて星の花畑を駆けていく最後の情景を思い出しました。
池の右端に静かに立っていたツキスミは不思議そうにしばらくこちらを眺めて迷っていましたが、静かに歩いてきて挨拶をしました。それから朝食までの1時間ほど、ツキスミと話をし、私が歩くとついてくるのでした。まっすぐに見つめる眸がいじらしく、そこからときおり涙が溢れやがて落ちるのです。その涙や逞しい体にもハエが群がり、手で何度も追い払ってやりながら話し続けていました。ぼくは馬語が話せる。犬語、猫語、幼児語だって。このごろ人間語が苦手で分からなくなってきた。普段のぼくは針千本(ふぐの仲間)のように尖っているらしい。こんな優しいぼくを強面(こわもて)のように感じその針に毒を仕込んであるのではと疑う輩もいるらしい。
 花も動物も幼子も可愛い。そんな浪漫に浸っていたら家人が、私が好きな宮本輝の「焚き火の終わり」という小説に、馬は好奇心が強く変わったものを見ると寄ってくる、野次馬という言葉はここから来ていると言う。そうか、やはり異物なのだろうか。
 朝、5時に自然に目が覚る。8月の末はまだ夏真っ盛りだが、朝は確実に秋の気配を含んでいる。この時間に文章を書いたり、仕事の段取りを考えたりする。でもツキスミと話をして以来、なにやら、ぼんやりと窓を開けて空を見たり目覚めた鳥たちの声や音楽を聴いたりする時が増えたように思う。

サン・エルブラン(Saint Herblain)

 この図書館は素敵でしたね。文化への愛が形になってここへ降りてきたという気がしました。渡邊さんの展示も心配りの行き届いたもので、ギャラリストとしては教えられるところ大でした。ポスターからカタログに到るまでセンスに溢れていました。こうした文化予算もちゃんと取られていて、当たり前のことですが文化に対する敬意が払われていることが痛いほど伝わってきました。帰国してすぐにYUKO・TAKADA・KELLERさんのデンマークのアート事情のお話を聴いたのですが、そこで感じたのも同じことです。

渡邊幹夫さんのことなど

 渡邊さんにはフランスへ行く度にお世話になりました。でも今回のように三日間も一緒にいたのは初めてです。私がNYのソーホーにある画廊で渡邊さんの作品に出会って以来なのでもう長い付き合いです。最近は東京の版画廊の櫻井さんが、渡邊さんを紹介され、2冊の素晴らしい画集を出されました。
 渡邊さんをはじめ、作家さんとのお付き合いはずいぶん長い方が多くなってきました。それだけ長くやっているということだけど、私の画廊経営は多分、独特で、それ自体が強烈な自己表現になっていて、しばしば双方に痛みをともなうこともあります。作家と画廊との関係はきれい事ではありません。私のバイブルは「ゴッホ兄弟の書簡集」です。なんど読んでも体が発熱し、いまや読まなくても本の背表紙をみただけでも熱が出る。フィンセントの投函されなかった最後の手紙が矢じりとなって突き刺さったままなのです。