楽しかったワーグナーの喜劇 美しかった横浜美術館の床

 オペラ「ニュールンベェルグのマイスタージンガー」(ワーグナー)をNHKホールで見てきた。ミュンヘン・オペラ(バイエルン国立歌劇場)の引越し公演、トーマス・ラングホフによる新演出。指揮はズービン・メータ。ドイツの国民的オペラを現代に置き換えた新演出で、舞台美術も話題。何しろ午後4時に始まり、終わったのが9時45分。途中35分の休憩が2回あるにしても、まことに長い。しかも劇的で、手に汗するドラマが展開するわけでもなく、どちらかと言えば喜劇。とはいっても全く退屈することなく堪能しました。  
 ワグナーがハンス・ザックスという実在のマイスタージンガー(職人兼詩人兼音楽家)をモデルに「ドイツ国民への尊敬とドイツ芸術の精華を讃える」ために自ら脚本を書いた。  
 職人とは、当時の階級制度の中で貴族、騎士に対する市民を代表するものだと思う。現代で言えば企業経営者にして芸術家、例えば堤清二=辻井喬のようなイメージだろうか。  このオペラはヒットラーのお気に入りでドイツ精神の鼓舞のために利用されました。確かに終幕の高揚感は圧倒的で、劇場全体が一体となって沸き返りました。当時のドイツであれば、またドイツ人であればなおさらのことでしょう。オペラという総合芸術の力と同時に危険性も実感しました。  
 ただ面白いのは、ワーグナーは1848年のパリ2月革命に呼応してドレスデンで無政府主義者バクーニンなどと共に蜂起、首謀者としてスイスに亡命を余儀なくされる経歴を持っています。このオペラも国家を賞賛するよりも芸術の力を讃えるものなのですが、ヒットラーによって悪用されたのです。  
 手元に阿部良男著の「ヒットラー全記録 20645日の軌跡」2段組み700Pの大部があります。丹念に見ていくと確かに毎年バイロイト音楽祭に出かけてワーグナーを聞き、ワグナー家と親交があったことが確認できます。この阿部さんは神戸北野の方なので、一度お話を聞きたいですね。
 実は新演出のトーマス・ラングホフはの父親も演出家で、ナチスに捕えられ、強制収用所に送られ、スイスに亡命した人。指揮者のメータはインドのポンペイ生まれ。音楽によって世界を融和していく活動に積極的に取り組む人。その二人による新演出にとても興味がありました。事前に脚本を精読していったので集中して聴けました。イメージしていたより素敵だったのは狂言回し的敵役ベックメッサーを演じたアイケ・ウィルム・シュルテ。ネオナチらしき若者が大勢登場するシーン、めでたしめでたしの大団円から一人はずれてベックメッサーにスポットが当たっていたところに注目しました。舞台を現代に移し、危険性をも警告しながら「芸術の力への賛歌」に惜しみない拍手を送ったのです。

横浜トリエンナーレ  

 オペラの前に原美術館で開催の展覧会「やなぎみわ 無垢な老女と無慈悲な少女の信じられない物語」をゆっくりと楽しみ、翌日は「横浜トリエンナーレ」と「李禹煥(リ・ウファン) 余白の芸術展」を見てきました。横浜は10時オープンと同時に入りました。JR石川町駅から懐かしい横浜元町を歩いて南へ。どこにも看板やポスターがないので、たまたま来た二人の巡査さんに道を聞いたのだけど「聞いたことがない」という反応。見当をつけて歩き出し、信号待ちでたまたま横にいた巡査に似た制服のガードマンに聞いたら「すぐ前の公園を南に」と教えてくれました。会場では音声ガイド(¥500)が便利、何度も足を運ぶなら別だけど私のような3時間コースでは不可欠。作家の肉声や意図を短く説明してくれる。多文化、多表現の中で俯瞰的な視点をくれる。 堀尾貞治さんと現代芸術集団「空気」の皆さんと会う。12月18日まで、ほとんど毎日、会場で制作するそうです。堀尾さんにとってはこうした行為、あるいは生きている、呼吸している総体がアートそのもの。とはいえ朝から黙々と作業を続ける「堀尾組」は凄い。総合ディレクター川俣正の理念を最も体現しているのが堀尾さんだろうと思いました。ワーク・イン・プログレス「増殖」「変化」「工事中」などのイメージ、あるいは「体験」「参加」などがキーワードになっていることが実感されます。ベネティアビエンナーレなどの圧倒感、威圧感には遠く、もっとナチュラルで「鉄・石」のイメージよりは「風・竹」といったアジアの匂いを強く感じました。堀尾さんの「100円均一絵画」「1000点 1000円絵画」、巨大壁面を毎日、塗り替えていく作業などは、理念型の仕事と対極にあり、パフォーマンスのように見えて、実はしっかりとしたアートへの根源的な問いかけが内在されているのですね。1000円均一を1000点とも買おうかと思ったのですが、そういうのは野暮というもので、やめました。でも30点くらいは欲しいな。
「李禹煥 余白の芸術展」  

横浜美術館での「李禹煥 余白の芸術展」も良かった。李さんの作品はもともと好きなのですが、白いカンバスに白をたっぷり含んだグレーの太筆。ほとんど余白。あるいは自然石に鉄板。それを囲む白い壁。たっぷりとした余白。たっぷりとした余韻、沈黙。気がつくと美術館の床に無数の文様があり、小さな記号や色の変化がある。地平面を支える安定した床と静かな饒舌。縦の白い平面と地平のコンクリートの調和がなんとも美しい。本来の床を覆っていたカーペットを剥がし、接着材の跡が露になったというわけ。仮に、この床が完璧な白であったり、木目の床材をイメージしてみると、これほど李禹煥の世界に惹きこまれただろうか、と思いました。

登紀子「情歌」に酔いしれる   

 翌日には多可郡中町のベルディホールでの加藤登紀子「ほろ酔いコンサート」に招かれて行ってきた。車で90分。このホールとのご縁は深い。前館長の奥村和恵さんに大変お世話になった。加藤さんはこのホールに14回目。地域の人たちとのすっかり馴染んでいい雰囲気。語りを交えながら、だんだん盛り上がっていきました。加藤さんの多くのオリジナル、そして選ぶ曲には一本のしっかりとした筋が通っていて凛として美しい。単なる恋歌ではなく「真実」がある。後半になって歌われたシャンソン「さくらんぼの実る頃」は1871年のパリコミューンを背景にしているし、その後に歌ったのが「レボリューション」、そして「絆」。加藤さんのご主人、藤本敏夫さん(2002年7月逝去)は元全学連委員長。でも単純な政治メッセージではない。加藤さんの「生きてこられた姿」そのものが歌に込められて、心を揺さぶるのです。加藤さんと獄中の藤本さんの往復書簡は素晴らしい大人の「恋文」ですね。お二人の生きる佇まいの美にこちらも身を正す思いです。なるほど、この地平から唄は立ち上がってくるのだと腑に落ちたのです。
加藤さんの隣に座って、この日のために中町が発売した純米吟醸「情歌」(命名もラベル文字も加藤さん)にしたたか酔って奥村家を辞したのは、もう日付けが変わろうとする頃でした。