イタリア紀行 200/PART II

ローマ歩き

  前回のようなペースでイタリア紀行を書いていたら1年かかります。かくして私は年がら年中、遊びほうけているように思われるのです。急ぎましょう。
 カラバッジョの作品「キリストの磔刑」を見るために地下鉄でヴァチカンを目指しました。ヴァチカン美術館の開館30分前に着くように行ったのですが、地図を見ながら階段を上がっていって驚きました。目の前を長蛇の列をなして人が行きます。私達が合流しようとすると女性が何やら大声で非難の声を上げます。別にロープが張られているわけでもなく、だだ、道が合流しているだけなのにね。大分と後ろへ回って、それでも列に割り込むように、ぞろぞろと20分ほど歩きました。ようやく入り口が見えてきました。ところが行列は、その前を通り越してはるか彼方から折り返しているのです。諦めて列を離れてヴァチカン広場からサンタンジェロ城へ抜けました。この城は私はプッチーニのオペラ「トスカ」の舞台として馴染んできました。素晴らしいアリアがたくさんあり歌姫トスカの「歌に生き、恋に生き」や、恋人で政治犯カバラドッシが歌う「星は煌きぬ」などは空で歌えるほど熟知しています。
 トスカは、何処から飛び降りて、何処へ落ちたんだろうと眺めながらテヴェレ川にかかるサンタンジェロ橋を渡ってナヴォーナ広場を目指しました。この近くのサンゴスティーノ教会とサン・ルイジ・ディ・フランチェージ教会にあるカラバッジョを見るためです。 ここでも迷いました。路地が迷路のようですし、教会と周囲の建物が判然としないからです。カフェで一息ついて、地図で確認。この「迷う」ということも旅の大事な要素なのです。初めての土地ですから、迷っているうちに天啓のように全体が見えたりします。ガイド付きの旅では味わえない魅力です。

ナポリへ  

 この列車のチケットを買うときに大きなミスをしました。いや、買うのは簡単でテルミニ駅の窓口でメモを渡して1st Classと言っただけで、クレジットカードで決済したのです。次の買い物の時にカードがないことに気が付いて青くなりました。きっと駅に違いないと慌てて戻りました。幸運なことに、気が付いたのが、早かったので、切符を売ったおじさんがまだ窓口にいて、事情を説明すると「ああ!君だ」と声を上げて「待って」といって事務所に入っていき、帳面とぼくのカードを持って戻ってきました。パスポートのコピーを見せ、無事受け取ったのです。親切な人でよかった。
 ナポリへは早いICを予約しました。でっかい鉄道駅でホームが18本くらいあるので、まるでエアーポートのような電光掲示板をみて自分の列車を確認するのです。アナウンスもないし、改札もない。自己責任なのです。ぼくらのICは、なんと45分も遅れたのです。これなら定刻発車のローマ発の普通列車の方が早く着いたことになります。
 実は帰国するときのナポリーミラノ間の飛行機も30分以上遅れたのです。待ちくたびれた時に機長が何やら事情説明をして、機内がドット沸き、万歳のポーズをする人もいました。家人は「50%」と言ったから払い戻すと言ったのよ、という、半信半疑で、どうして戻すのかななどと思っていたが、ローマに着いても、皆、何事もなかったように散っていく。後で旅行社の人に聞くと「機長のリップサービスでしょう」。
 こうした時の外国での対応の鷹揚さは見習いたい。数分の遅れを取り戻すべく爆走させて痛ましい惨事を引き起こす国に住むものとして。

タクシ・ドライバー マッシモ   

 サンタルチア港を散策し、ヌオーボ城と市立美術館を見て、取り敢えずホテルへ戻ろうとタクシーに乗った。体のでっかいサッカー選手のようなドライバーが、話しかけてきた。英語である。何処から来たか。ナポリは初めてか?イタリアは?何処を見たいか? 「明日はポンペイに行く」と言うと、ならば俺が案内する。3時間で100ユーロ、それだけでいい。あとは行きたいレストランまで送り届ける、という。ならば、とお願いする。降車してホテルまでの料金を払おうとしたら、これは俺のプレゼントだと受け取らない。まあ陽気なナポリ野郎で、散々、ナポリ自慢をして「でも大きな問題がある、それはナポリターノだ、これが頭が空っぽで何も考えてない」という。
 ナポリの交通事情は悪い。運転は荒く、無秩序。とんでもない割り込みがあるとマッシモは「これがナポリターノだ」と大げさに嘆く。
 翌朝9時にマッシモがホテルに。サッカーの話題で盛り上がり、カンツォーネを一緒に唄った。ポンペイへ行ったが、11時までスト。「これがナポリターノだ。何を考えているのだ。外国から沢山の人が見にきているのに」。
 79年8月24日のヴェスヴィオ火山の噴火で埋没。ブルボン家のカルロ王によって1700年の眠りか蘇った。町並みは紀元前5世紀くらいに出来たものである。日本はようやく稲作と金属器の弥生文化が北九州に生まれたころである。暑い日差しの中を古代ローマ人になった心境で歩く。22年前にギリシャへ、9年前にシチリア島のアグリジェントの古代遺跡を歩いた。だからと言って何ほどのこともないが、体内に歴史時間軸を体験として持つのは大切なことかも知れない。
 ポンペイから、もう一つの古代都市エルコラーノ寄ってミラノに戻ることにした。すっかり気の合ったマッシモを昼食を奢るからと誘う、何処が良いかときくと「ダ・ミケーレのピッザが最高だ、美味くて安い」という。
 もう2時を回っていたけどミケーレの前は行列が出来ていて番号札を貰うらしい。マッシモが貰ってきて「俺は外で待ってる」と聴かない。テイクアウトの人も多く5分待ちくらいで順番が来た。ここのピッザはマルガリータ一本槍である。南京町の豚饅「老祥記」をイメージすれば分かり易い。これが実に美味しかった。ナポリのピッザは生地に特徴があり、周辺を高めにつくり、パリッと焼き上げるよりは、もっちゃりとした感じで、モッツァレラチーズと南伊の陽光を一杯に浴びたフレッシュトマトがミックスされてシンプルだけど情熱的なカンツォーネのようでした。ビールを飲んでお勘定が4.5ユーロ(約600円)くらい。
 待っていたマッシモに「カポディモンテ美術館へ」というと「あそこへ行くならカラバッジョだ」という「勿論だ、ずっとカラバッジョを見る旅をしている」と答える。 ホテルまで送ってもらって7時間にわたるマッシモとの旅は終わった。180ユーロ。
 これにはさらに後日談がある。あくる日は船でカプリ島へ渡った。まあ観光地で、どうということはなし。夕方、サンタルチア港へ帰りつき、タクシー乗り場へ行くと、なんと向こうでマッシモが手を上げている。彼にホテルまで送ってもらう。マッシモ両手の親指と人差し指で円を繋げて不思議な縁で結ばれていると笑い、固い握手で別れた。(つづく)