イタリア紀行2005
「23回目の海外旅行」

 1963年に神戸高校合唱部の米国ツアーに同行して以来、23回目の海外です。グループ旅行にも、それなりの楽しみ方があるけど、基本的に群れることを好まない性格は直らないもので、お互いの興味に干渉し合わない、旅のルールを決めて家人との旅を重ねてきました。中学生程度にも満たない英語力だけで、18カ国を巡ってきた。恐るべき度胸というか、単なる旅なれですが。
 今回の旅行は、ローマ三泊、ナポリ三泊、ソレント、ポジターノに各一泊、アマルフィ二泊、そして関空に直行するためにミラノ経由で帰国というものです。前半は、ともかく美術館巡りとオペラ。後半は南イタリアの陽光をふんだんに浴びて、イタリア料理のベースである、美味しいフレッシュトマトのように生き返ろうという魂胆です。

カラバッジョを訪ねて

 カラバッジョ(1571-1610)は本名をミケランジェロ・メリジという。巨匠ミケランジェロ・ブエラローティが亡くなって9年後にミラノから東へ40?の田舎町カラバッジョに生まれた。カラバッジョ村のミケランジェロ・メリジ、すなわち本名はミケランジェロ・メリジ・ダ・カラバッジョ。ヴィンチ村のレオナルドがレオナルド・ダ・ヴィンチであるのと同じです。建築家であった父が巨匠にあやかってつけた名前だが、結局、村の名前が残った。
 10才で孤児になるが、今回、私が見たローマのサン・ルイージ・ディ・フランチェージ聖堂の礼拝堂装飾を任されたのが24才であるから、若くして頭角を現していた。しかし、私生活はとんでもなく、男色趣味、賭博、喧嘩、女性関係のトラブル、告訴、逮捕、投獄を繰り返したあげくに1606年5月29日、友人たちと球技を楽しんでいて喧嘩になり剣で相手の胸をつき殺してしまう。
 前歴が前歴なので死刑。逃亡。潜伏。マルタ島ではその絵が評判になり栄誉ある騎士団に迎えられるが、破廉恥殺人犯であることがばれて教皇庁警察とマルタ騎士団と両方から追われる。ようやくローマから恩赦の知らせが届きナポリへ戻る途上、あと一歩のところで船上で警察に誤認逮捕され、再び釈放されたものの、よろよろと熱砂の砂浜を歩いていて熱病で倒れる。(ただし行き倒れではなく修道院で看取られて亡くなった)享年39才。
 こんなとんでもない人生を送った画家が、時代を革新し、同時代の画家に大きな影響を与え、多くの追随者(カラバッジェスキ)を産んだのです。

 ルーブル美術館や、フィレンツエのウフィツィ絵画館やミラノ・ブレラ絵画館などでカラバッジョを何点も見てきて興味を持っていたのですが、宮下規久朗(神戸大学助教授)さんと出会い、氏がカラバッジョの研究家であり、かつカラバッジョが平成に蘇ったのではないかと思うほど、似ていた(性は粗暴にあらず)ので、親しくなり、2002年2月にギャラリー島田の火曜サロンにて「鬼才 カラバッジョの生涯」と題してお話して頂きました。その後、日本でも、宮下さんが関って大規模な「カラバッジョ展」が開催され、大変な話題になりました。昨年12月にはカラバッジョ研究の「聖性とビジョン カラバッジョ」(名古屋大学出版部刊)を出版されました。今回、それを読ませて頂いたのを機会に、たくさんの作品がある、カラバッジョが暮らしたローマ、ナポリを訪ねることにしました。カラバッジョの作品は、ローマには24点が11箇所に別れてある。ナポリに2点、ミラノに3点だろうか。
 僕らの世代というか、私の性癖というか、何か目標を立てないと動けない、ただボケーーと旅したとは言えないところがあって、自分に大義を必要とする。このところの大義は一貫して「美術館巡り」。畏兄・伊藤誠さんには足元にも及ばないが(「海外美術館を巡り歩く」の著書あり)、私のホビーなのです。ローマは1983年以来 、22年ぶりの再訪。ローマへの道は一日にしてならず。  
ローマ空港から

 列車でテルミニ駅(中央駅)へ。長い長いホームを出て、駅から5分のホテルを予約してある。
 翌朝5時に眼が覚めて、一人で散歩に出る、ぼくは何処へいっても街がようやく動き出そうとする朝が好きだ。公園の掃除が始まったり、足早に出勤する人、路上生活者の朝。今朝は肌寒い。
  7時に朝食を済ませ、早速、近くのチンクェチント(5百人)広場公園へ。このあたりは206年に完成した3000人を収容する大浴場(テルメ)の遺跡だ。市民の政治への不満をそらすために劇場、スポーツ施設なども備えた一大歓楽センターであったというから、いつの時代も同じだね。日本はまだ卑弥呼の時代なのにローマは、その1000年も前に下水道設備を備えた都市づくりをしていたのだから、その重層的な文化の厚さには驚きます。 この公園の一角に、古代遺跡の石壁をそのまま利用したサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会があります。最晩年のミケランジェロが設計。ミケランジェロは彫刻家、画家であるとともに建築家としても優れた仕事をたくさん残しています。

閑話休題 旅と服装  

 夏の旅はスーツというわけにはいかない。ともかく歩くので、カジュアルなシャツ、Tシャツにパンツ、サンダルである。もちろん、オペラや夜のディナー用にそれなりの服と靴も持って行く。この教会の前に6台くらい、クラシックな雰囲気の長さ5mはありそうな超高級車が並んで、パリッとスーツをきた男たちがたむろしていた。その車を興味深く見入っている、お金がありそうな人にはパンフレットが渡されていた。私たちは無論、無視された。
 アマルフィのホテル、ルナ・コンベルトは四ツ星。船で着いて格好よくタクシーで乗り付けるつもりで、重い荷物を押して汗だくでタクシー乗り場を探し、10分くらい待って、ようやく乗ろうとしたら、「歩いていけ」と500m先を指す。なるほど近い。石畳の坂をまた汗だく。ようやくフロントに着きチェクインの手続き。彼等は素早く客の服装、とりわけ足元に視線をやる。このフロントのお兄ちゃん、私たちの服装を見て、少し見下したニュアンスの対応をした。さっぱりとシャワーを浴びて、着替えをし、靴に履き替えて、ローマで買った真っ白のボルサリーノの帽子をかぶってサングラスをして(まるでイタリアンマフィア)エレベーターに乗ろうとしたら、その兄ちゃんとばったりと鉢合わせした。彼は一瞬、私を見つめ、足に眼をやり「ボ、ボ、ボンジョルノ」と慌てて挨拶をよこした。昔から「足元を見る」とはよく言ったものだ。この格好で髭を伸ばしてギャラリー島田に出勤したら法橋さん、井上よう子さんはギョとしていました。

今回訪ねた美術館

カラバッジョ
ローマ ボルゲーゼ美術館
6点
サンタ・マリア・デル・ポポロ教会
2点
サンタ。マリア。デル・コンチェティオーネ聖堂
1点
バルベリーニ宮国立古代美術館
3点
サンタゴスティーノ聖堂
1点
ドーリア・パンフイーリ美術館
3点
カピトリーノ美術館
2点
サン・ルイジ・ディ・フランチェージ聖堂
3点
コルシーニ美術館
1点
ナポリ 国立カボディモンテ美術館
ピオ・モンテ・デッラ・ミゼリコルディア
ナポリ市立美術館(カステル・ヌオヴォ内)
1点
1点
ソレント ソレント美術博物館
                     

国立ローマ(テルメ)美術館

  ここが9時から開くので共和国広場を散歩して、開館と同時に入る。ここはテルメの中心部と、それに接していた修道院付属の建物、中庭、回廊が整備されたもの。ローマとその周辺から発掘された彫刻、モザイク、フレスコ画などが収集されている。ミケランジェロの回廊で、庭園の噴水を見ながら休憩。
 ここで家人と別れて、私はカラバッジョ探しに。地下鉄でバルベリーニ広場へ。地下鉄の乗り方は、どこの国でも標準化されているのか、簡単だ。チケットは入り口付近のタバッキ(売店)で買う。これも日本のように細かく料金設定されていなくて、どこまで乗っても1ユーロ。一日乗り放題5ユーロ。

バルベリーニ国立絵画館

  さてバルベリーニ駅で地上に出て、うろうろ。チェザ・ディ・サンタ・マリア・デッラ・コンチェティオーネに「瞑想の聖フランチェスコ」があるらしい。日本の地図では骸骨寺となっている。周辺をぐるりと回っても分からない。この近くバルベリーニ国立絵画館がありカラバッジョが3点ある。二人の警察官が話していたので「ムゼオ ナショナーレ」と聞くと、二人で話し合っていて「アバンテ アバンテ」と言って左を指す。まっすぐいって左だ。また元の位置に戻る。街を歩くお婆さんに聞く。しばらく考えて指を差した先には大きく「バルベリーニ」と屋上看板。これはホテル。 ホテルの一部が美術館か?と入り口を一周。
 困惑していると、人が上がっていく階段がある。プレートを見るとチェザ・ディ・サンタ・マリア・デッラ・コンチェティオーネとあるではないか。中へ入るとまさに骸骨寺。なんという悪趣味だろう。壁も天井も人骨で装飾されている。いろんなところでカタコンベ(地下墓地)は見たけど、ここはちょっとね。でも、ここにあるはずのカラバッジョの「瞑想の聖フランチェスコ」は何処にもない。受付で聞いても「ない」と言うだけ。そんなことで出鼻をくじかれた。ようやくバルベリーニ国立絵画館へたどり着く。
  ここで「ナルキッソス」「ユディットとホロフェルネス」「瞑想の聖フランチェスコ」の3点と対面。前の2作品は27才くらいの作品。フランチェスコは1606年、35才の頃。男色のナルシスト、残虐性、宗教性とカラバッジョの三つの特性系譜を表す代表作である。時間がないので、タクシーを拾ってボルゲーゼ公園の中にあるボルゲーゼ美術館へ。(カラバッジョの印象については、後でまとめて記す)

「ボルゲーゼ美術館にて」

 西村功先生の名作に「ボルゲーゼ美術館にて」があり、有名なアントニオ・カノーヴァのバオリーナ・ボルゲーゼ(大理石彫刻)の裸婦像が描かれていた。今回、この美術館を訪ねるのは大きな楽しみでした。このバオリーナは皇帝ナポレオンの妹でボルゲーゼ家に嫁した。当時の上流階級婦人としては異例の裸婦像だそうだが、裸になるのを厭わなかった奔放な女性であったらしい。夫が見せるのを嫌がって、少数の友人にだけ、月の光と1本の蝋燭の灯りで見せていたというが、かえって嫌らしいではないの。それにしてもこのベッドシーツの表現、蜜蝋をひいた肌の肌理の細やかさには驚嘆しますね。
 ミラノのブレア美術館の入り口に、同じカノーヴァの、皇帝ナポレオンを シーザーに見立てた裸像が立っている。カノーヴァの前で兄妹が裸にな ったという訳だが、兄の方はこの像に閉口していたという。 そしてローマの至るところで見られるベッリーニの彫刻の真迫性。
 ボルゲーゼ卿は早くからカラバッジョの才能を認めていたので6点のコレクションがある。20代の作品には怪しげな微笑を浮かべ、もろ肌を脱いだり、しどけない格好をした美少年(自画像?)がリュートや花や、果物籠を抱えた一連の不思議な絵がある。その系譜の「果物籠を持つ少年」「病めるバッカス」と、「瞑想する聖ヒエロニムス」「蛇の聖女」「洗礼者ヨハネ」といった宗教的な画題による作品がある。ともかく、どれもが物議を醸しそうな異教的な雰囲気で、敬虔にして禁欲的なキリスト教徒が見たら仰天するような絵なのだが、何故か人気があるのです。例えばこの「洗礼者ヨハネ」などは、全裸の美少年がこちらを憂いを含んだ眼差しで見つめているし、あとで見たカピトリーノ美術館の「洗礼者ヨハネ」などは可愛いオチンチンまで見せて、こちらに向かっていわくありげに笑っているからたまらなく変で、ヨハネのイメージがガタガタと崩れ去ってしまうのです。そして「蛇の聖女」は聖母マリアが幼きキリストに、邪教の象徴である蛇を踏みつけることを教えている図なのですが、最初ヴァティカンに飾られる予定だったのが、マリアの胸が肉感的に大きく開いているため、受け取りを拒否されたという、いわくつきの作品なのです。
(つづく)