「我、拗ね者として生きる」

 新聞の書評に興味ある本を発見した。ノンフィクション作家の本田靖春さんの自伝的ノンフィクションである。 本田さんは讀賣新聞の花形社会部記者であった。退社後は講談社ノンフィクション大賞を受けるなど大活躍をして、昨年12月4日に亡くなった。両足切断、右眼失明、肝臓癌、大腸癌と闘っての壮絶死。71才であった。 その書名が「我、拗ね者として、生涯を閉ず」。
 この本を古巣、海文堂書店に注文すると、かつての部下が笑いをこらえていた。私のことを同類であると感じたからに違いない。私は、全くの市井人で本田さんとは較ぶべく何物もない。でも共感するところ大であった。照れずにいえば「社会を良くしたい」「改革したい」という思いと、だから衝突しても言わずにおれないという性癖である。本田さんは、遺言としてこの本を書いた。第一にジャーナリストを任ずる人へ矛先が向かい、権力におもねる人を撃つ。実名入りで、その切り結び方は壮絶である。
 日本は、もう駄目だと思う。何故かを箇条書きにしかかったけど止めました。余りに当たり前すぎて変なのです。でも、この当たり前のことが、放置されて病状が進行して、手遅れなのです。でも希望がなくては人は生きていけません。
 先月、「湊川隧道保存友の会」の総会で話をする機会があり、そのための勉強に「水の記憶」というイベントに石井一男さんを誘って行ったことは先月の通信で触れました。新開地が出来たきっかけである湊川の付け替えの時に作られた水のトンネルは1901年に完成しました。
600mの隧道は、450万個もの煉瓦を手積みして完成しました。それを見た時、わたしも煉瓦積みの職人であろうと思いました。この隧道の名を刻んだ大倉喜一郎、小曽根氏などの実業家ではない。一個、一個黙々と煉瓦を積んでゆく職人です。文化を支えるとは、そうゆう営為だと思うのです。
 今の日本には、あるいは神戸には即効性のある対症治療などはないと思います。あるとすれば目くらましでしょう。
 本田さんが自らを「拗ね者」と称して信念を貫いた、その爪の垢を煎じて、こつこつと。