「あっという間の10年。あっという間の5年です。」

 目の前のことを淡々と、心を込めてと自然体で、人からなにを言われようが大切なことだけをしようと、何もかも断りまくっているのに、何故か忙しい、忙しすぎる日々が流れていきます。でも、こうして大好きなことを精一杯出来ることは、本当に幸せなことです。

 昨年は、いろんなことがありました。ギャラリー島田DEUXが軌道にのってきました。ギャラリー島田TROISも大事な役割を果たしはじめています。サロンも100回を超え、展覧会もサロンも内容が充実してきました。本を書かせていただいたのは大変貴重な経験でした。ひとりよがりではなく、大切なことを易しく書くことを学びました。生き方も自在に柔軟に、しかし強くありたいものです。そんな思いで過ごしていると、なんだかどんどん孤立していく気もします。透明人間になったように、周囲に馴染めなかったり、自分から融和を求めないので、暗い洞窟に住んでいるような気持ちになり、いよいよ蝙蝠の本質に近づいてきたのでしょうか。

 私が幸せであっても、世の中は決して幸せな状況ではありません。社会全体が病み、平和が脅かされ刻々と状況は悪くなっているとしか感じられません。限られた時間、許された時間のなかで自分が何が出来るのかを考え続けています。いままでいろんなことをしてきました。まちづくりや体制に抗する運動にも関わったこともあります。悩んだあげくの現在の心境は、あくまでも芸術の力を信じ、自分の持ち場であるギャラリーとアート・サポートセンター神戸の活動を通じて、人々を幸せにし、生きる力を分かち合い、共に困難な時代を生き抜いてゆくことに全力をつくそうと思っています。内田洋一さんが分析してくれたのは50代からの私の生き方ですが、その道は一貫していて、さらにある焦点を目指しているように思えます。ここまでくればわが道をゆく以外しかたがないのですね。

「平和」ということ

 加藤周一先生をお招きして 憲法第9条やイラクのことなどを中心に勉強会を持ちました。現代の知の巨人も85才。でも交流会を入れて延べ7時間、ほんとにお元気で、至福の時を持ちました。だんだんと危険な方向へと向かっていることは疑いないのですが、何をなすべきなのか、単に勉強をすることでもなく、デモをすることでもないような気がします。平和であることこそが稀有なことであり、それは闘いとるものであって、待つものや、与えられるものではないのかもしれません。「平和ボケ」こそが、平和を崩していくことに繋がっているのでしょう。

 でも「平和」を言い立てる人にも、エゴが潜んでいないかを疑ってみなければなりません。戦争に巻き込まれれば数限りない人が殺し、殺されます。平和を言うなら、その言葉と等価の身の処し方を問われているということです。私の自戒を込めていいますが、ジュニア新書「神戸」に紹介したポートアイランド南公園の「平和公園」は荒れ果てています。ぼくには平和を大切にしていない象徴に見えました。いつか草刈りに行きましょう。(家人には家の庭の草ひとつぬいたことないのにといわれそうですが)

 J・F・ケネディーの演説に感動し、アメリカの文化に憧れたこともあるのに、いまや行きたくもない、ブッシュやネオコンの顔など見たくもないです。悲しいですね。