「真理子の反乱」

 今回の日記は、散々である。最近、腹が立ったり、情けなかったりすることばかりで鬱積している。このことを通信原稿に書いた。ところがである我が自宅のPC・真理子が私の余りの憤激ぶりに恐れをなしてデータを全て消去した上に、メールでの受送信も不可能にしてしまった。休日一日を使ってご機嫌を伺ったけど直らない。ギャラリーへ出勤すると”鶯”さんから慣らし運転を終えた高いさえずりで「今日中に原稿を完成させて下さい」と追い立てられる。 ぼくはギャラリー島田DEUXに籠もって必死に原稿を書いた。来客の対応を捌きながら。突然、携帯が鳴って仰天する依頼を受けた。あるシンポジウムへのパネリストとしての参加依頼で、しっかりした筋からである。他のシンポジストを聞くと石破防衛庁長官と片山鳥取県知事だという。ぼくは腰が抜けた。丁重に辞退し、他の方を推薦する約束をして、しばらく茫然とした。気が付くと目の前のPC画面が消えている。
 ほぼ完成した原稿を探すと、どこにも見あたらない。焦ったけど駄目である。ヴィッセル神戸の三連敗、真理子の謀反、石破氏とのシンポジウム、2度にわたる完成原稿の消失。とても現実とは思えない。
かくして、遅い残業の疲れを酒精でごまかしながら涙の原稿を書いているのだけど、とてもイラク人質事件、自己責任論、マスメディアに対する怒り、年金法案、未納問題などの憤激をもう一度書く気力が無くなりました。でも言っておきますが、マスコミの論調とは違いますぞ。

注)真理子…島田が愛するパソコンにつけられた名前です。 

「コウモリ的日常」

 汗ばむほどの陽気の3月16日。
 京都へ行ってきた。
ボリビアの作家、フェルナンド・モンテスさんの展覧会―東西の超克―がアートフォーラムJARFOと遠藤剛熈 美術館とで同時開催されていた。モンテスさんとは長い付き合いだけど、今回はモンテス夫人も同伴来日、私は奥様とは初対面。JARFOの石田浄さんは実に芯の通った丁寧な仕事をされていて、心服している。私はこうは出来ない。
 その後、北大路にあるギャラリー「器館」で寺井陽子陶展を見る。寺井さんの、伸びやかな感性と不思議なフォルムが好きだ。そしてその後は、京都五山の大徳寺を松籟(松林を渡る風の音)を聞きながらゆっくり散歩。烏が鳴き、松の花が咲いていた。既に拝観時間は過ぎていたが、須田剋太の「大燈国師」や雄渾な書「乞食」を思い出しながら、外人さんと立ち去りかねていた。
 地下鉄で京都駅へ。タワーの横の道を入ったところにある「へんこつ」という私にふさわしい名の居酒屋へ入る。坪谷令子さん、超博さんが行かれた話を読んで興味を持ったのがきっかけで、よく来るようになった。折角の京都なので京料理か鮨と思うけど財布と相談すると「やめとけ」と言いよる。「へんこつ」名物は「テール(牛の尾)の煮込み」、私は「サルベージ(底)」という煮込んだ鍋の底に沈んだ肉片を掬い上げてもらうのをもっぱら注文する。でも、この店、ほんま賑わっています。美味いのです。別に露悪趣味ではないが、前回は屋台での「豚足」を書いたなあ。イメージ悪いかなあ。
 新快速で神戸に戻り、元町を中心に繰り広げられた「ひと アート まち展」の打ち上げに最後だけ参加。

「ぼくの第九」

 京都への電車の中では、詩人の玉井洋子さんから送られてきた詩誌「ア・テンポ」を読みふけった。とりわけ君本昌久さんの追悼特集に。今も鮮やかに君本さんの風貌、声、所作が蘇る。酔っ払った氏に何度も困惑させられたことも、今は笑って思い出せる。ぼくの書棚から「君本昌久自選詩集」「デッサンまで」「ぼくの第九」、三冊の詩集を取り出してみた。詩というのは面白い。手にした気分で、受け取りも様々である。懐かしく詩句を繰る。「ぼくの第九」は君本さんの9冊目の詩集という意だが、ベートーヴェンの第九を意識してのことだろう。この本を出して5年後の1997年3月22日、69才で亡くなられた。ぼくが最後に言葉を交わしたのは、元町駅を少し北へ上がった酒場だった。偶然隣合わせになり、「マリンバの凄い子がいる。是非、応援して!」と熱心に話された。それが名倉誠人さんのことだった。「ぼくの第九」の最後のフレーズは
 おもしろうて やがてかなしき/金色の水 とめどなく/はるかな はてしれぬ
時の流れに 冴えわたり/ 夜は 煌々と更けゆく