このごろアートマネージメント、アートプロデュースの専門家のように思われ、若い人への講義や話を頼まれることが多い。しかし、私は、そういったことには、どちらかと言えば背を向けてきた。人に頼むことが苦手で、情報を流す以外のことはまずしない。常識と思われるプレスリリースや、企画書などもほとんど書かない。それでも「事は起こるときには起こる」。加川広重プロジェクトの時もそうだった。私の背中のリュックに15年も前に投げ込まれて、気になりながらどうにも出来なかった宿題が、天啓のように閃いて解決しそうだ。無意識のうちに眠っていたものが、その閃きで、くっきりと道が見える。今回の宿題は宮地孝(故人)さんが神戸大空襲(1945年)の直前の神戸の学童疎開の情景を丹念に描いた27枚のスケッチを15年ほど前に沼田かずゑさんから託された。疎開先は加古川・清久寺、教信寺、常楽寺、赤穂・妙典寺、姫路・円光寺です。それが貴重な記録であることは分ったが、その扱いを考えあぐねてきた。額装などの費用の問題は別にしても、単に展示して終わりでは仕方がない。ずっと心の奥にひっかかってきた。その解決の一つのヒントが今年、3月初旬に訪ねた仙台メディアテークでみた写真展である。古い仙台の町並み写真を展示し、そこへ多くのコメントが寄せられ、場所が特定され、思い出がコメントされていた。帰神してこの「学童疎開」の話を数箇所にしたが、進まず、ある日、コープこうべ文化資料センターから資料が届いた。そして「閃き」がやってきた。最初は否定的なニュアンスだったが、お見えいただき、宮地作品の持つ意義を確信してお話し、決断していただいた。詳細は次号で書くが、「コープこうべ文化資料センター」こそが最適である。「お受けします」という言葉に安堵したが、これから額を作り、会期を決め、詳細を相談せねばならない。私の夏休みはどうなるのだろう。

荷を降ろす

まだまだ背の荷物は重い。自分で背負った荷もあるが、面倒なのは背中に投げ込まれた荷もある。一つ一つと降ろしていく端から投げ入れられる。宮地孝「疎開図」をリュックから出したが、「加川広重巨大絵画」を再び背負うことになりそうである。さらに二倍の重さで。作家の皆さんに約束したプロジェクトもいろいろある。 作家さんにとって大切であってもギャラリー島田にとって役割を終えた作品を作家さんにお返しすることもはじめている。と、同時に、作家さんから依頼を受けて、作品を預かり、その居場所を探すことも後を絶たない。 古稀を越え、一日一日を閉じていく頁を念頭にしながら、一方でもっと丁寧に、いい仕事をしたいという思いとの間で、体は軋みをあげている。背中に重い荷を担ぎ砂漠を黙々とゆく「駱駝の歩み」の時代、次に創造のための格闘する獅子奮迅、獅子の時代。そして最後に、思いもよらない自由な発想をする真の創造の「子どもの時代」、という、ニーチェの人生三段階説(注)に倣(なら)えば、盆と正月が一緒に来たわけではありませんが、荷を負った駱駝が子どもの心をもって獅子奮迅といった図ですね。
(注)梅原猛「人類哲学序説」岩波新書から。

贈り物

大切な人になにを贈りたいか。そもそも、その大切な人とはだれだろう。多くは家族や友人、愛する人、隣人、お世話になった人だろうか。無愛想と自任する私は歳暮の類(たぐい)はほとんどやったことがない。接待についてもしかりである。そうとうに臍が曲がっている。しかし贈答・接待の類でない「Cadeau」だってある。贈られても困るものだってある。おせっかい、おしゃべりの類も苦手である。放射能や国の借金はいらない。強制された愛国心、過大な格差、数限りない困った贈り物を想像できる。アベノミクスを評価する声は私の周りでも聞きます。黒田異次元政策も私は大いに疑問だと思っています。「今が少しでも良くなれば、それでよし」は、繰り返されてきた私たち日本人の性向です。すべてを先送りする。誰もが責任をとらない。責任を追及されないから、今、自分しか考えない。原発が「トイレなきマンション」といわれ、その実体は隠しようもありません。「安全神話」の欺瞞も露なうちに、再稼動、原発輸出。すべてを先送りする。どんどん刷った紙幣が行き場を探し、「投資」され。お金を使う為に事業が計画され、その債務は未来の人へ押し付けることになります。人口減少は確実な未来なのに「国土強靭」さらなる経済成長、競争社会ですか。でも地球の未来に向けて、子どもたちの、その子どもたちの、そのまた子どもたちのために、すぐ隣の人、遠くにいる、まだ見ぬ人、地球の裏側の人のためにも、贈りたいものがある。それぞれの人が、それぞれの居場所をえて、生きることを全う出来るように贈りたい。平和であり、尊敬しあい。分かち合う心を。それが日本の憲法なのだと思います。憲法が実情に合わないのではなく、実情のズレを糾していかねばならないのだと思います。